知っているようで知らないスーパーカーの初めて物語
ツインカムのV12をミッドシップに搭載して最高速はオーバー300km/h。スーパーカーと言えば、そんなイメージもありますが、それぞれ初めて実現したモデルがあり、ライバルたちがそれに倣って採用してきた、あるいは実現してきた歴史がありました。今回は、そんなスーパーカーの初めて物語を紹介していきます。
V12で初のツインカム(4カム)
フェラーリが1948年に初めて市販したロードモデル、166MMは水冷の2L V12を搭載。ですから、スーパーカーの必須アイテムとされるV型12気筒エンジンは、この時点で実現していたのです。それ以降もフェラーリは、V12を搭載したロードモデルを数多くリリースしています。
まあこれも当然で、創設者であるエンツォ・フェラーリ御大が「V12を搭載していないロードモデルはフェラーリとは呼ばない!」と豪語したことからも分かるように、フェラーリのロードモデルはイコールV12、ということになるからです。
そしてフェラーリは、スーパースポーツカーの王座を確固としたものにしていったのです。ところが、そのフェラーリに挑戦状を叩きつけるチャレンジャーが登場しました。それが1963年に設立されたアウトモービリ・ランボルギーニでした。
彼らの商品第1号は1964年に市販が開始された350GT。前年のトリノショーに出展していた350GTVを改修し、カロッツェリア・トゥーリングでボディを架装したモデルでした。350GTVも350GTも、ともにV型12気筒エンジンを搭載しています。
まだフェラーリもシングルカムでしかなかった時代に、こちらは一歩先んじてツインカム(V型なので4カム)を採用していたのです。ということでスーパーカーで初のV12ツインカムを搭載していたのはランボルギーニ350GTということになります。まさにスポーツカーの王者、フェラーリに立ち向かう勇敢なチャレンジャー、ランボルギーニの最大の武器がツインカムV12だったのです。
ミッドシップレイアウト
ここまでのスーパースポーツは、フロントにエンジンを搭載して後輪を駆動するというのが一般的でした。しかし、F1GPだけでなくスポーツカーレースも戦っていたフェラーリは、そのレース用のGTを一部、ロードゴーイングカーとして市販していました。
レーシングカーとしては1950年代の終りからミッドシップにエンジンを搭載して後輪を駆動する、いわゆるMRレイアウトが一般的になっていましたが、これはやがてロードゴーイングカーにも波及していきます。市販のロードカーで、最初にMRレイアウトを採用したのはオトモビル・ルネ・ボネが1962年にリリースしたジェットとされています。
これにデ・トマソ・ヴァレルンガ(1964年)、ロータス・ヨーロッパ(1966年)とライトウェイトの2シータースポーツが続いてデビューすることになりますが、じつはスーパースポーツカーでもMRレイアウトを採用したモデルが登場しています。
それが1963年のパリ・サロンでお披露目されたフェラーリの250LMでした。当時、国際マニュファクチャラーズ選手権のタイトルが懸けられていたスポーツカーの世界選手権用に開発されたレーシングGTカーの250LMは、フェラーリ初のミッドエンジン車。1965年のル・マン24時間レースに勝って、LMの名に恥じないものとなりました。
3LのV12エンジンは、いまだにSOHCでしたが、ピニンファリーナが手掛けた美しい2ドアクーペは今も人気の高い1台です。ただしフェラーリ250LMを、一連のスーパーカーの仲間に入れるかどうかは議論の分かれるところですが……。
その意味で、スーパーカーで初めてMRレイアウトを採用したモデルは1966年にランボルギーニがリリースしたミウラP400、ということになるでしょうか。先ずは前年の1965年トリノ・ショーにベアシャシーが展示され、V12をミッドシップに横置きマウントさせたことをアピール。
翌1966年に発売されたときにはベルトーネのチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニが手掛けた流麗なボディデザインも大きな話題となっていました。
跳ね上げ式ドアの採用や300km/hをオーバーしたスーパーカーとは
スーパーカーの元祖とされるランボルギーニ・ミウラの後継モデルとして1971年のジュネーブ・ショーでプロトタイプのLP500が発表。1973年にLP400として発売されたランボルギーニ・カウンタックは、その出自や誕生のタイミングも含めて、スーパーカーの代名詞のような存在となりました。
まず何よりも大きなアピールとなったのは、そのスタイリングでした。ミウラと同様にベルトーネのマルチェロ・ガンディーニが手掛けたデザインは、まるでショーモデルをそのまま公道に引っ張り出したような強烈な印象がありました。
そして何より特徴的だったのは、まるで鳥が翼を広げたように開くガルウイングドア。正確にはルーフにヒンジを設けて、ルーフのセンターに向けて大きく跳ね上げるガルウイングドアではなく、Aピラー下部に車体中心線と直行。かつ地面とほぼ平行な回転軸を持つヒンジによって、ドアがほぼ垂直、斜め前方に跳ね上がるタイプで、ハサミのような動きで開閉するためにシザースドアと呼ばれるものを採用していたこと。
フレームに高剛性を求めてサイドシルが太くかつ高くなったり、また空気抵抗を低減するためにルーフを思いっきり低く設定したレーシングカーでは、乗降性をよくするために、こうしたドアが使用されるケースが多くありました。ロードカーとしては1950年代にメルセデス・ベンツが300SLで使用していた程度で、フォードGT、通称“GT40”もドアにルーフの一部を一体化させていて、ドアの開閉方式そのものは前ヒンジで開閉する通常のタイプでした。
カウンタックがもうひとつ、スーパーカーとして初めて達成したのは300km/hの最高速度でした。前任車であるミウラの最終モデルP400SVが385psで車輌重量1305kgだったのに対し、カウンタックのLP400は最高出力こそ同数値の385psでしたが、車両重量は1200kgと100kg以上も軽量。
しかも全幅×全高が1780mm×1100mmのミウラに対してカウンタックは1870mm×1030mmで前面投影面積は1.958m2から1.926m2と数%小さくなっていましたから、ファンならずとも期待は高まります。ただしこれはあくまでも公称値でしかなく、さまざまな情報から想像するに、実際には300km/hには届いていなかったようです。
それでもカタログで最高速が300km/hと謳ってある以上、それはひとつの真実となります。またメカニズムに関しては、ミウラではV12エンジンがコクピットの背後に横置きにマウントされていましたが、カウンタックでは縦置きにマウントしています。
しかし前方からエンジン、デフ、トランスミッションという通常のレイアウトでは重量バランス的に厳しくなるので、エンジンとミッションを前後逆方向に搭載。ミッションからはドライブシャフトでエンジン後方にマウントしたデフにパワーを伝える、凝ったレイアウトとなっていました。
さて最高速に話を戻しましょう。カウンタックLP400が最高速度300km/hを謳ったのは、ライバル、フェラーリのトップモデルだった365GTB/4の280km/hを大きく上まわるとともに、300km/hの大台に乗せたかったからでしょうか。
しかしこれがフェラーリの反撃を呼ぶことになりました。やはり1973年から発売された、365GTB/4に代わる新たなトップモデル、MRレイアウトを採用した365GT4/BBは、最高出力は380psとカウンタックに一歩先を譲っていましたが、最高速度は302km/hと、わずか2km/hだけ上まわっていました。
この後、フェラーリはF40で最高速324km/h、エンツォフェラーリで350km/h、さらにラ フェラーリでは最高速度350km/h以上、と謳っていましたがランボルギーニが応戦することもなく、非現実的な戦いは収束してしまいました。