わずか128日で開発された最強レースマシン
プロダクションカー・レース、つまり市販車ベースで争われるレース・カテゴリーは多々あったけれども、「メルセデス・ベンツCLK-GTR」ほど鮮烈な存在は、なかなかない。そもそも型式認証、つまりFIAの定めたホモロゲーション規定を通るために必要な生産台数が、たった25台と限られていた。そこまでは他メーカーの他車種も同じだが、CLK-GTRが違っていたのは、メルセデスによればたった128日間の超突貫工事で開発されたにも関わらず、初年と翌年に圧倒的な、華々しい戦績を挙げた。にもかかわらず、ポルシェやBMWといったライバルを横目に、ル・マン24時間という大一番では輝けなかった。
毀誉褒貶の激しさと言うは易いが、天国と地獄を独りで背負ったかのようなキャリアと生き様に、「最善か無か?」というメルセデス・ウェイを思い切り体現してしまった、その二面性が魅力にして伝説の一台なのだ。
25台だけのホモロゲ用市販車は小室哲哉氏も所有
しかも全世界でたった25台の割り当てで発売されたCLK-GTRのロードカー版は、当時もっとも高価な市販車として265万ドイツマルク(税抜)のプライスタグを提げていた。マルクの為替レートでピンと来る人は少ないだろうが、現地でも消費税込みなら300万ドイツマルク超で、現在のユーロに換算すると約1600万ユーロ(=約2億2000万円)。日本での最終的な価格は2億5000万円といわれた。
今ほど上顧客優先とか転売禁止ルールとか、審査基準が徹底されている時代でもなく、この超エクスクルーシブな枠を巡って正規輸入から並行ルートまで、国境を越えてあらゆる丁々発止が展開されたようだ。あのころ、コギャル・ブーム真っ盛りの日本で手にしたひとりが、音楽プロデューサーの小室哲哉氏だったことも、今となっては象徴的ですらある。
V12エンジンはレースカーで631ps、ロードカーでも612ps
CLK-GTRは当時のメルセデスのクーペたる「CLK」(C208)のデザイン・エレメントに基づきつつ、カーボン&ケブラーのラミネート構造によるモノコックに、スチール製ロールバーが一体化されている。コクピットの背後、リヤアクスルとの間に収まるパワートレインは「GT122」。Sクラスに用いられた「M297」こと挟み角60度の6L V12エンジンと共通項も多いが、5986ccで631psの最高出力を誇った。
そこに6速シーケンシャル・トランスミッションが組み合わされ、最高速はじつに320km/h、0-100km/h加速は3.7秒だった。とはいえロードカー版(C297)にはドライサンプのオイル潤滑システムやチタン製コネクティングロッド&バルブは奢られず、6898ccの排気量で612ps、エンジンの型式は「M120」とされた。
驚くべきは完成に至るまでの開発スピード。メルセデスによれば、AMGメルセデスのファクトリーが開発に着手したのは1996年12月5日。V12エンジンの初テストが12月21日で、おもにカーボンを用いたモノコックボディもクリスマス前に完成し、明けて1997年3月26日にはスペイン・ハラマ・サーキットにおいて、1995年DTMチャンピオンのベルント・シュナイダーのドライブでシェイクダウンに漕ぎ着けたという。