国内初の本格的スポーツカーとして登場したフェアレディ
1961年の東京モーターショーで輸出モデルが、そして翌1962年には国内モデルも登場したダットサン・フェアレディは、そのコンセプトが大きくシフトされていました。4座オープンだったフェアレデーに対してこちらは2座オープン……当初のモデルでは運転席の後方に、横向きにマウントされた第3のシートが装着されていましたが、後に取り払われて正真正銘の2座に変更されています。
さらにサスペンションやエンジンなども、フェアレデーに比べて大きく進化していて、国内初の本格的なスポーツカーとして大きな関心を集めることになったのです。ベースとされたのは、当時として最新のブルーバード(310型系)で、そのために型式ネームもSP310(輸出用はSPL310)とされていました。
フレームは低床式のラダーフレームで、サスペンションはフロントにコイルで吊ったダブルウィッシュボーン式の独立懸架を採用。リヤはリーフスプリングでアクスルを吊るリジッド式となり、シャシー全体をブルーバードから転用していました。
エンジンはブルーバードの兄貴分で、1960年に発表されたばかりのセドリック用、1.5Lの直4プッシュロッドを搭載。軽量コンパクトなボディ/シャシーに1クラス上のパワフルなエンジン、とスポーツカーの公式に則ったパッケージングでした。
そして1965年には、エンジンが1600ccの直4プッシュロッドで最高出力90psを絞り出していたR型に載せ替えられます。このエンジン/シャシーの組み合わせは、前年の東京モーターショーに参考出品され、フェアレディ1600よりも1カ月前に登場した初代シルビアも同様でした。その型式ネーム、CSP311の頭につくCはクーペを意味していて、初代シルビアがフェアレディのクーペモデルだった両者の関係にも納得させられます。
フェアレディが1600に移行した2年後、オープン2座の集大成となるファイナルモデル、フェアレディ2000(SR311)が登場します。セドリックなど広範なモデルに搭載されていたH20エンジンをベースに、ヘッドをプッシュロッド式OHVから、ウェッジシェイプの燃焼室を持つカウンターフロー式のSOHC式ヘッドに交換されたU20型エンジンは、最高出力145psに達していました。
シャシーは、基本的にはフェアレディ1600と同様でしたが、パワーアップに対応した強化が施されていました。主だったところでは、太くなったトルクでアクスルが暴れるのを防ぐために、リヤのリジッドアクスルに2本のトルクロッド(トレーリングアーム)が追加されたこと。
またフロントのみディスクブレーキという基本レイアウトは変わっていませんでしたが、ドラム式のリヤブレーキは、鋳鉄製のドラムにアルミ製のフィンを溶着させた、“アルフィン・ドラム”に進化していました。ブレーキ系も、タンデム式のマスターシリンダーを採用して2重に強化されています。
個人的には高校生のころ、友人とふたりで“大人になったら…”という、SR311とホンダのエス8が主人公の夢物語を語り合ったことが記憶に残っています。大柄だった彼はSR311を、小柄な自分はエス8を購入し、いつかふたりで走りに行こう、と約束を交わしていたのです。
残念ながら彼は事故で亡くなり、ふたりで走りに行く夢は叶いませんでしたが、社会人になってエス8を購入、最初に帰省したときに彼の墓参りにエスで出向き、彼が好きだったチェリーとカールを供えながら、約束を果たしたぞ、と報告したことが懐かしく思い出されます。