国産化した日野ルノーの後継は完全自主開発したコンテッサ
フランス本国のルノーは1957年に登場したドーフィンを、1961年まで生産を続ける4CVの後継車に位置づけ、さらにその後継車には1962年に登場したR8を充てていました。一方の日野自動車も1961年に発表したコンテッサ900、そして1964年9月にデビューしたコンテッサ1300を投入しています。それでは順に紹介していきましょう。
日野は、日野ルノーの生産を1963年まで続けていましたが、そのモデルライフ晩年の1961年には後継モデルとされる900を発表しています。これはルノーが4CVのモデルライフ晩年にドーフィンを登場させたのと似ています。そしてその基本コンセプトも似ていました。
すなわち、リヤに直4エンジンを搭載した4ドアセダンという4CVのパッケージは継承しながらも、ボディを少し大柄にしてキャビンとトランクのスペースを拡大しつつ4人乗りから5人乗りにコンバート。それに伴って増加した車両重量に対処し、エンジンの排気量を拡大してパフォーマンスを引き上げる、というものです。
900は実際のところ、ボディサイズと車両重量では4CVの全長×全幅×全高とホイールベース、車輌重量が3610mm×1430mm×1480mm、2100mm、560kgに対して3795mm×1475mm×1415mm、2150mmに拡大され、750kgと重くなっていました。
これに対してエンジンは、ともに水冷の直4OHVでしたが、排気量は4CVの748cc(54.5mmφ×80.0mm)から893cc(60mmφ×79.0mm)に拡大され、最高出力も21psから35psに引き上げられていました。
シャシーはモノコックフレーム/ボディで、サスペンションはともにコイルスプリングで吊ったフロント:ダブルウィッシュボーン式、リヤ:スイングアクスル式の4輪独立懸架を採用するなど基本メカニズムは継承されていました。ただし独自のメカニズムとしてリヤサスペンションにラジアスロッドが追加されるなどの強化策が施されていました。
コンテッサ900の誕生から3年後には上級モデルのコンテッサ1300が登場。これもルノーがドーフィンの上級モデルR8を投入したのと似ています。ただし、900とドーフィンのスタイリングが似ていたのとは対照的に、1300とR8のスタイリングはまったく違ったシルエットへと発展していました。
ともに角ばった3ボックスセダンでしたが、無骨な佇まいを見せるR8に対して1300は伸びやかなスタイリングが特徴。1300のデザインを担当したのは、新進のデザイナーとして売り出し中だったジョバンニ・ミケロッティで、同時期に登場したトライアンフ・ドロマイトなどと似たシルエットとなっています。
サイズ的にはさらに大きく、必然的に重くなっていて、具体的には全長×全幅×全高とホイールベースが4150mm×1530mm×1390mm、2280mmで車輌重量が940kgとなっていました。それにしても、対衝突のレギュレーションが関係している面はあるものの、現在のクルマからすれば羨ましいほどの軽量ぶりです。
一方エンジンに関しては1251cc(71.0mmφ×79.0mm)まで排気量が拡大され、最高出力も55psを発生していました。1300で大きなトピックとなったのは、4ドアセダンに加えて半年後には2ドアクーペが追加設定されたこと。また900と同様に適度にチューンナップされたSグレードが追加設定されていました。
シャシーはモノコックフレーム/ボディで、サスペンションはともにコイルスプリングで吊ったフロント:ダブルウィッシュボーン式、リや:スイングアクスル式の4輪独立懸架を採用するなど、基本メカニズムはコンテッサ900から継承されていました。
これは市販が実現されることはありませんでしたが、900にも1300にもミケロッティがデザインを手掛けた2ドアクーペ、900スプリント、1300スプリントGTが製作されていました。前者は日野オートプラザに収蔵されています。以前の取材で実車と対面しましたが、半世紀の時を経た現在でも十分に通用するスタイリッシュさに感動したことを覚えています。
コンテッサ900スプリントや1300スプリントGTの市販が実現していたら国内だけでなくスポーツカーの本場、欧米でも人気を呼んでいたのでは、と夢の世界に浸ってしまいました。