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さようならダットサン! ブランドが消えようともけっして忘れられない名車を振り返る

投稿日:

TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

数多くの名車を生産してきたダットサンを振り返る

 日産からブランドの廃止が発表されたダットサン。かつては日産の、スポーティで魅力的な小型車が揃う有力ブランドでしたが、1981年に一度廃止されたのちに、2012年に新興マーケットに向けた低価格ブランドして復活を果たしました。しかし今年になって、ふたたび廃止されることが決定しています。今回は、1981年に一度廃止された第一次、というか本来のダットサンについて、名車の数々を紹介しながらその歴史を振り返ってみました。

さまざまな合従連衡の末に誕生した日産よりも長い歴史を持つダットサン

 ダットサンのブランドが誕生したのは1930年(昭和5年)のこと。ダット自動車製造が試作した小型自動車に、ダットの息子(DATSON)としてダットソンと命名したのが始まりでした。ただし息子のSONは、音が日本語の損をイメージさせることから、太陽を意味するSUN(サン)に変えてダットサンが誕生したというのは有名なエピソードです。ダットサンのエンブレム

 ちなみにダット自動車のダット(DAT)は1914年(大正3年)に設立され、ダット自動車の源流ともなっている快進社を支えていた3人の支援者、田 健治郎、青山禄郎、竹内明太郎のイニシャルを連ねて名付けられたもの。快進社が設立された2年後には、ダット41型乗用車も登場しています。

 快進社は、1925年(大正14年)にダット自動車商会に改組され、翌26年(大正15年)には実用自動車製造と合併しダット自動車製造が誕生しています。その後ダット自動車製造は1931年(昭和6年)には戸畑鋳物の傘下となり、1933年(昭和8年)石川島自動車製造所と合併して自動車工業となりました。

 ちなみにこの自動車工業は現在のいすゞ自動車の前身であり、またここから分社化した日野重工業は現在の日野自動車の前身です。さて戸畑鋳物を率いていた鮎川義介は自動車工業からダットサンの商標と旧ダット自動車製造の大阪工場を手に入れると戸畑鋳物自動車部として改組。

 さらに戸畑鋳物と、やはり鮎川が率いていた日本産業が共同出資して自動車製造を設立して戸畑鋳物自動車部を吸収します。この自動車製造は34年(昭和9年)に横浜工場を開設すると同時に、社名を自動車製造から日産自動車へと変更しています。

 ちなみに日産では、戸畑鋳物傘下のダット自動車製造が石川島自動車製造所と合併して自動車工業が設立された1933年12月を設立日としています。合従連衡が繰り返されるなかで日産は誕生しましたが、ダットサンはそれ以前から存在していた老舗ブランドだったのです。

 新たに誕生した日産自動車は、ダットサン・ブランドを重用しています。日産の座間事業所内にある日産ヘリテージコレクションには、日産が設立された1933年式のダットサン12型のフェートンや、1935年式の14型ロードスターなど、多くのモデルが収蔵展示されています。ダットサン12型

 14型ロードスターのノーズ先端中央には、跳ねるウサギをイメージしたマスコットが取り付けられていますが、素早く走る脱兎(ダット)のイメージ通り、軽やかなフットワークはセールスポイントのひとつでした。そして戦後にも同じように展開され、ダットサンは、スポーティで軽やかに走り回る小型車に好んで使われる、日産でも重要なブランドとなっていきました。ダットサン14型ロードスターのマスコット

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