リベンジに執念を燃やした結果、怒涛のル・マン4連覇
雪辱を期したフォードは、翌1965年のル・マン24時間にもエントリーしています。車輌は、前年も参戦していた、フォードGT40のマークIで4.7Lまで排気量アップしたエンジンに換装したモデルに加えて、新にロングノーズを採用し、エンジンも7リットルまで拡大したマークIIを投入。
またアメリカに本拠を置くレーススペシャリストのシェルビーにワークスチームの運営を一任するなど、ハードとソフトの両面で体制を強化していました。予選ではフィル・ヒルがドライブするマークⅡが前年の記録を9秒も短縮するコースレコードでポールポジションを奪います。
決勝でも2台のマークIIがトップを快走していましたが、スタートから3時間を過ぎるまでにはともにリタイアとなり、またしてもフェラーリ勢が上位を独占する結果に終わっています。しかし、フォードの悲願が達成される日がやってきます。
1966年のル・マン24時間では見事初優勝。しかも表彰台を独占して栄光に花を添える結果となったのです。このシーズンの主戦マシン、フォードGT40マークIIは前年モデルで特徴的だったロングノーズを短縮する大改造が施されていました。
また各部の耐久性能を見直して競争力が高められていましたが、何よりも、改良型のマークIIを3チームから8台と大量エントリーし、さらにバックアップとして市販されていたマークIを5台、計13台の物量作戦がモノを言うことになりました。
続く1967年にディフェンディングチャンピオンとしてル・マン24時間に臨んだフォードは、新開発のGT40マークIVを主戦マシンに据えていました。これはマークIIの発展モデルとして開発されたもので、エンジンはマークIIと共通でしたが、風洞実験を繰り返してカウルに大きく手を加えています。
ちなみに、飛び番となっているマークIIIはレース用ではなくロードカー仕様として開発されています。さて同年のセブリング12時間でデビューレースウィンを飾ったマークIVは、そのポテンシャルには折り紙付きとなっていましたが、ル・マンには4台が勢揃いした上に前年の優勝をマシンに改良を加えたマークII Bを3台、さらにGT40マークIを3台と、前年に引き続いて物量作戦を展開していました。
これに対してライバルのフェラーリも準備周到で、好バトルが期待されていました。予選ではブルース・マクラーレンがドライブするマークⅣがポールを奪います。決勝ではロニー・バックナムのマークII Bがまずは飛び出しますが、冷却系のトラブルで後退。代わってダン・ガーニー/A.J.フォイト組のマークIVがトップに立つと、あとはトラブルフリーでトップを快走します。終盤にはフェラーリ勢が追い上げてきますが、ガーニー/フォイト組がそのまま逃げ切って見事な連勝を飾っています。
続く1968年はレギュレーション変更によりスポーツカーのエンジン排気量が5L以下に制限されたためにマークIVは参加できず、フォードのワークスチームは参戦を控えることになります。代わってJWオートモーティブ・エンジニアリングが、限度いっぱいの5Lまでエンジン排気量を拡大したGT40でエントリー。
優勝候補の筆頭だったワークスポルシェが予選から上位を独占していましたが、決勝ではトラブルが続出してしまいます。熟成され尽くした感のあるGT40は、最後までトラブルフリーで走り切ってル・マン24時間に3連勝。さらに1969年にも前年のウィニングカーが連勝を飾り、フォードGT40は、シリーズとして見事な4連勝を飾ることになりました。