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美しくて安全じゃなきゃメルセデスじゃない! 通称「羽根ベン」220Sb誕生秘話

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: メルセデス・ベンツグループAG/メルセデス・ベンツミュージアム/妻谷コレクション

アメリカ市場がこの革新的なセダンを受け入れた理由

 組み立ても航空機のように簡単、整備時の分解が容易でサービス性が一段と向上した。また、このシリーズから冷暖房・換気も一貫したシステムとされている。幅広くなったエンジンルームは、安全構造に加えて直4から8気筒まで受け入れる多様性をも達成。

 伝統の縦型グリルはワイド&ロー、ヘッドライトも縦置きにしてダブルバンパーを組み合わせた結果、一段と重厚なフェイスになった。リヤドアからフィンテールまで伸ばしたクロームモールも高価的なアクセントだ(後にフロントドアも含め多くのクロームモールを採用)。

W111のフロントマスク

 コンパクトだが車内は要領よくレイアウトされた居住性に優れ、ウインドウが広く、室内を光と風が気持ちよく通り抜けるような爽やかなムードを造っている。車内は一面、衝撃吸収パッドで包み、安全ムードを強く印象付けた。

インテリアのイメージ

 アメリカ市場がもっとも強く求めたオール運転パワーシステムへの回答も、メルセデス・ベンツは一歩も譲らず、あくまでも各々のアイテムに独自のアイデア、技術、高い効率を注ぎ込んで面目を保った。

 まず、1961年のパワーステアリング、パワーウンドウの採用をはじめ、オートマチックトランスミッション(1962年)、パワーブレーキ(1962年)の順で220Sb時代(1959年~1965年製)に一挙に導入している。

 アメリカ市場がこの革新的なセダンを受け入れた理由は、あまりにも大流行した派手なファションに飽きてきていたのと、複数世帯用のセカンドカーが必要な時代を迎えたことが重なったものだった。

 そこへいかにもドイツらしい適度なサイズ、安全、運転が楽で居住性が高く、精密でクリーンで使い心地の良いセンスの登場に、世界中がすっかり魅せられたとしても不思議ではなかった。まさに、220Sbこそは戦後最初に世界に示した「輸出戦略カーのパイオニア」であり、同時に今日の高級車の基準を築き上げたのだ。

輸出モデルとして存在感を高めた

 現在では言葉や動作ですべて自分の好みや学習をサポートする革新のインフォメーションシステムが主流となり、最適な移動を提供する「Maas」でより豊かな生活が始まっている。その背景にはインターネットとつなぐコネクテッド(C)、自動運転(A)、シェアリング(S)、電動化(E)がある(CASE)。とくに、自動運転とコネクテッドがさらに進化して、室内でエンターティメントが存分に楽しめる。

 こうした時代こそ脱炭素の流れを踏まえ、AIやコンピューターに頼ることなくモビリティ社会の安全、強いて自動車を発明した責任においてメルセデス・ベンツは、いま一度「クルマは何をおいても、安全第一で造られなければならない」と叫びたいことだろう。

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  • W111のイメージ
  • フィンテールのイメージ
  • ベラ・バレニー
  • フルモノコックボディの解説イメージ
  • 衝突実験のイメージ
  • インテリアのイメージ
  • W111のフロントマスク
  • W111のスタイリングイメージ
  • 輸出モデルとして存在感を高めた
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  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 1949年生まれで幼少の頃から車に興味を持ち、40年間に亘りヤナセで販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特にメルセデス・ベンツ輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版のカタログや販売教育資料等を制作。またメルセデス・ベンツの安全性を解説する独自の講演会も実施。趣味はクラシックカー、プラモデル、ドイツ語翻訳。現在は大阪日独協会会員。
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