羽根ベンの愛称で親しまれたメルセデス・ベンツ220Sb
1959年フランクフルトモーターショーにて、メルセデス・ベンツは220Sb(W111)を発表した。エンジンは基本的に1951年の220以来となる6気筒SOHC 2195ccだが、圧縮比を6.5から8.7に高めて80HPから110HPとなった。いわゆる220b、220Sb、220SEb Fintail model(フィンテールモデル)シリーズとなり、機能とエレガンスを統合した真似のできないフォルムで「新しい基準」を造り出した。
このモデルはフィンテール、つまり羽根の付いたメルセデス・ベンツの始まりで、日本では通称「羽根ベン」と呼ばれ親しまれた。正式には「マーカー」と呼ばれたこのフィンテールモデルは、美しさに加え駐車にも便利で、全方位の視界の広さとともに、ユーザーの趣向の変化を「先取りした装備」だった。さらに1961年にはこのフィンテールボディに軽合金製の3000ccを搭載した300SE(W112)、1963年にはロングの300SELが登場した。
メルセデス・ベンツの輸出戦略設計テーマとは
当時は営業政策上、総生産の約50%を輸出しなくては採算が取れないと踏んで送り込んでいる。これが結果的に将来の高級車を示唆する作品となった。確かにそれまでの欧州車は、自国の枠にはまり込んでコンパクトで長寿命が当たり前だったが、最大の輸出先アメリカでは毎年、大型で華やかなモデルチェンジ合戦を謳歌していた。とくに1959年後期、アメリカ市場では飛行機の垂直尾翼のような大型フィンテール・ファションは花盛りであった。
そこで、メルセデス・ベンツは輸出戦略設計のテーマとして、「新鮮なファション」「安全構造ボディ」「オールパワーシステム」の3大スローガンを掲げた。即ち、アメリカを制すると読み、将来のいかなるテーマにも対応できる体制を整える構造革命に業界を目覚めさせたのだ。
結果、「馬なし馬車」から受け継いできた車体構造を一瞬にして脱ぎ捨て、清楚なスタイルでしかも上等な質感が創り出された。これが、本来ドイツ伝統の「的確な実用サイズと安全で優れた居住性」の高い次元での融合であり、これをデザイン目標とした。ちなみにアメリカの大型フィンテールは、さすがメルセデス・ベンツ流で大げさではなくスマートに納めている。
メルセデス・ベンツの安全ボディ開発
自動車の安全性がルールとして取りざたされるずっと以前から、メルセデス・ベンツの設計思想には「安全性」が大きな地位を占めていた。つまり、メルセデス・ベンツの技術陣が追求しているのは、つねに「安全性」である。
1939年に「ミスター・セーフティ」と呼ばれたベラ・バレニーがメルセデス・ベンツの安全技術開発をスタートし、衝突安全性の研究に着手。1951年にはベラ・バレニーを中心としたメルセデス・ベンツの技術陣は自動車の安全性理論を確立し、「前後衝撃吸収式ボディ構造」と「頑丈な客室構造」の特許を取得した。
そして、この構造が今日の全自動車の安全ボディの基本となっている。1953年には、この世界初の前後衝撃吸収式ボディ構造を採用した量産乗用車「180」を発表(セミモノコック)。
その6年後、メルセデス・ベンツは1959年8月に生産を開始した220Sb(通称;羽根ベン)で、前後衝撃吸収式ボディ構造を完成し(フルモノコック)、乗用車のボディ構造に大きな改革をもたらしたのである。しかも室内はステアリングホイール、インストゥルメントパネル、ドアライニング、アームレスト、サンバイザーなどに衝撃吸材を使用、埋め込み式ドアハンドル、脱落式ルームミラーをすでに採用していた。セーフティセルと呼ばれるこの安全車体構造は、乗員が乗る客室の剛性を上げ、その前後構造に衝撃吸収能力を持たせている。
この特許を申請したフルモノコックの元祖と言える「安全ボディ」は頑丈な客室の前後に衝撃吸収構造を持ち、実はすでに1940年代に試作車を造り、「頑丈だから安全」の一辺倒から「丈夫な客室を前後の衝撃吸収式ボディ構造で守る」仕組みに変えたのである。
前後衝撃吸収式ボディ構造と頑丈な客室の必要性
人体が損傷を受ける原因には、衝撃によるものと圧迫によるものがある。前者は非常に短い時間であり、後者は時間をかけてゆっくりと大きく変形するような衝撃である。
短時間に加わる大きな衝撃は、脳挫傷や骨の破壊が考えられるし、ゆっくりとした大きな変形では圧迫が問題となり、内臓や下肢が大きく損傷を受ける。大きな衝撃を和らげるには、ボディの衝撃吸収特性が重要になる。このため、物理的に柔らかいボディが必要。
このボディはエネルギーを吸収できるボディとして、衝撃吸収式ボディと呼ぶ。一方、ゆったりとした大きな変形による圧迫に対しては、客室の生存空間を保たなければならない。このため、物理的に変形の少ない頑丈な客室が必要となる。つまり、この相反する物理特性を両立させるには、クルマの前部・後部は柔らかく、客室は頑丈にするコンセプトが必要となっている。
アメリカ市場がこの革新的なセダンを受け入れた理由
組み立ても航空機のように簡単、整備時の分解が容易でサービス性が一段と向上した。また、このシリーズから冷暖房・換気も一貫したシステムとされている。幅広くなったエンジンルームは、安全構造に加えて直4から8気筒まで受け入れる多様性をも達成。
伝統の縦型グリルはワイド&ロー、ヘッドライトも縦置きにしてダブルバンパーを組み合わせた結果、一段と重厚なフェイスになった。リヤドアからフィンテールまで伸ばしたクロームモールも高価的なアクセントだ(後にフロントドアも含め多くのクロームモールを採用)。
コンパクトだが車内は要領よくレイアウトされた居住性に優れ、ウインドウが広く、室内を光と風が気持ちよく通り抜けるような爽やかなムードを造っている。車内は一面、衝撃吸収パッドで包み、安全ムードを強く印象付けた。
アメリカ市場がもっとも強く求めたオール運転パワーシステムへの回答も、メルセデス・ベンツは一歩も譲らず、あくまでも各々のアイテムに独自のアイデア、技術、高い効率を注ぎ込んで面目を保った。
まず、1961年のパワーステアリング、パワーウンドウの採用をはじめ、オートマチックトランスミッション(1962年)、パワーブレーキ(1962年)の順で220Sb時代(1959年~1965年製)に一挙に導入している。
アメリカ市場がこの革新的なセダンを受け入れた理由は、あまりにも大流行した派手なファションに飽きてきていたのと、複数世帯用のセカンドカーが必要な時代を迎えたことが重なったものだった。
そこへいかにもドイツらしい適度なサイズ、安全、運転が楽で居住性が高く、精密でクリーンで使い心地の良いセンスの登場に、世界中がすっかり魅せられたとしても不思議ではなかった。まさに、220Sbこそは戦後最初に世界に示した「輸出戦略カーのパイオニア」であり、同時に今日の高級車の基準を築き上げたのだ。
現在では言葉や動作ですべて自分の好みや学習をサポートする革新のインフォメーションシステムが主流となり、最適な移動を提供する「Maas」でより豊かな生活が始まっている。その背景にはインターネットとつなぐコネクテッド(C)、自動運転(A)、シェアリング(S)、電動化(E)がある(CASE)。とくに、自動運転とコネクテッドがさらに進化して、室内でエンターティメントが存分に楽しめる。
こうした時代こそ脱炭素の流れを踏まえ、AIやコンピューターに頼ることなくモビリティ社会の安全、強いて自動車を発明した責任においてメルセデス・ベンツは、いま一度「クルマは何をおいても、安全第一で造られなければならない」と叫びたいことだろう。