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大ヒット狙いのメーカーの自信作……のハズがアレ? 目論見ハズれた平成の不人気車5選

平成の不人気車

商品力あってもヒットならずの不遇の平成不人気車

 新型車の企画・開発には、1台でも多く販売台数を伸ばすために自動車メーカーの威信がかかっている。もちろん、そこには生産コストや資本提携する他ブランドとの協業などの柵があるなかで、少しでも商品力のあるモデルを国内外に続々と投入するべく開発されている。それでも、ちょっとしたボタンの掛け違いや市場ニーズにハマらなかったりで、ホームランを狙ってマン振りしたつもりでも、鳴かず飛ばずのモデルもあった。ここでは、そんな平成の“やっちまった”クルマを紹介しよう。

ラリーイメージを脱却するべく攻めすぎた渾身作

「インプレッサS201 STiバージョン/2000年発売」

 まずはじめに紹介するのはスバル・インプレッサS201 STiバージョン(以下、S201)だ。販売すれば売り切れ必至のSTIが手掛けた「Sシリーズ」だが、元祖モデルのS201は強すぎた意気込みが空回り気味だった。GC8型インプレッサSTiバージョンⅥをベースに、当時、ラリーのイメージが強かったところへ、STIがオンロードに特化した仕様としてデビューさせた。水平対向4気筒のEJ20ターボに鍛造ピストンや専用ECU、吸排気系の変更などで、最高出力300ps/6500rpm、最大トルク36.0kg-m/4000rpmを発揮するハイパフォーマンスエンジンを搭載。

 サスペンションはチューニングカーばりの車高調整式で、リヤにはフルピロボール式ラテラルリンクと同トレーリングリンクの採用や、フロントデフにヘリカルLSDが奢られるなど走行性能をアップ。レイズと共同開発した16インチ鍛造アルミホイールの装着でバネ下の軽量化も果たし、オンロードマシンとして磨きをかけた。外観もフロントのグリル一体型専用エアロバンパーや、大型のエアスクープ、サイドスカートのほかダブルウイングリヤスポイラーなどで迫力を一段とアップ。ディフューザー形状のリヤのエアロバンパーもあって、どこから見ても戦闘力の高さを否が応でも感じさせた。

 限定300台で発売されたこのS201だが、1998年に発売され即完売したSTIコンプリートカーの第一段であるインプレッサ22B STiバージョン(限定400台)のように、後世に語り継がれるようなモデルにはならず。また、当時としては攻めに攻めたスタイリングが奇抜すぎたのか、正式な販売台数は不明だが、のちに続く「Sシリーズ」のような成功には至らなかった。とはいえ、その希少性から極上コンディションの個体はプレミア価格で取引されている。

時代の過渡期にデビューしたことが仇に……

「いすゞビークロス/1997年発売」

 続いては、現在トラックのメーカーとして認識されているいすゞのビークロスだ。このコンセプトカー(コンセプト車名:ヴィークロス)がそのまま市販されたようなスタイリングは、117クーペや初代ピアッツァを販売したいすゞならではと大絶賛。未来的とも言える外観は、いま見ても色褪せない魅力があった。それは市街地を走らせていると高い注目を浴びるほどで、レカロ製シートやモモ製のエアバッグ付きステアリングなどを備え、まさにスペシャルなRVの先駆けであった。

 走りは現在でも東南アジアなどでピックアップトラックが人気なように、いすゞのRVは以前からタフで悪路に強い性能が支持されていた。それだけに当時人気のビッグホーンをベースにしたビークロスの走りは期待に違わぬ性能で、3ドアのスタイリッシュなRVとして人気を集めるはずだった。

 ところが1997年に発売されたビークロスは2001年に販売を終了。せめて5ドアがあれば違った結果だったかもしれない。そしていすゞも2002年には日本国内向けの乗用車の撤退となるのである。当時、いすゞの目の付け所は確かに悪くなかった。ただ、同年に現在のSUVの元祖といえるトヨタ・ハリアーが登場すると、時代はラリーレイドマシンのような3ドアの4WDの実力派ではなく、4WDを備えていなくても良いからスタイリッシュな5ドアモデルを求めるトレンドにシフト。ビッグホーンやミューのような販売実績を残すことができなかった。

走りは絶品でも押し出しの強さが足らず

「ホンダ・エリシオン/2004年発売」

 日産エルグランドが先鞭をつけて、トヨタがそれに続くようにアルファードを登場させたことで確固たる立ち位置を築いた日本の高級ミニバン。そこにエスティマとともにオデッセイで日本のミニバンブームを牽引してきたホンダも参戦してきた。それが2004年に登場したエリシオンだ。

 ホンダはエリシオンよりも先に、日本仕様のオデッセイでは小さすぎるとして、現地向けに開発された北米版オデッセイを1999年にラグレイドの車名で日本に投入。さすがに全長5105mm x 全幅1935mm x 全高1740mmのボディサイズは大きすぎたことと、3.5L V6エンジンのみのラインアップが影響したのか販売台数を伸ばすことができず。そこで後継モデルとしてオデッセイの兄貴分としてエリシオンが誕生した。

 このエリシオンのボディサイズは、全長4845mmx全幅1830mmx全高1790mmと、ラグレイドほど大きくなくホンダらしいスマートな外見で、走り良しの上質なミニバンが欲しいユーザーから支持されるも、エルグランドとアルファードの牙城は崩せず。

 ラグレイドの反省から3.5L V6のほか2.4L直4をラインアップしたのだが、現在では中国専用車となってしまった。エリシオンがヒットしなかった理由は後発だったことに加え、やはり押し出しが足りなかったのもあっただろう。もちろんホンダもそれは認識しており、より高級テイストのエリシンプレステージをラインアップに追加したが時すでに遅し。現在の人気ミニバンや軽自動車を見ていると、売れるのは迫力がある顔をもったクルマたちなのだ。

トヨタでもつまずいたダイハツとの協業モデル

「トヨタ・パッソセッテ/2008年発売」

 自分たちで技術を磨きながらも、ライバルが現れればしっかりと対抗措置を取り、全方位でスキがない日本を代表するトヨタでも、結構やらかしたモデルが出るから面白い。そのひとつがダイハツ生産のパッソセッテ(ダイハツ・ブーンルミナスのOEM車)だ。

 初代シエンタの後継として登場(一時期は併売)したパッソセッテは、コンパクトカーのパッソに3列目シートを装備したある意味攻めたモデルであったが、3列目シートはあくまでも補助席的な扱いであった。コンパクトだが多人数乗車できるという志は評価したいところだが、2012年に販売終了。

 ベースとなったパッソとブーンは、開発と製造がトヨタとダイハツにまたがり、複雑な出自を持つモデルであった。そのうえ登場時のキャッチコピーは「プチ・トヨタ」を謳い、トヨタ車であることが強調された。しかし、ステップワゴンやセレナ、ノア&ヴォクシーといったMクラスミニバンが勢力を拡大するなかで、小さなボディゆえに運転のしやすさはあったものの、ミニバンとしての使い勝手の悪さやコンパクトカーの域を脱することができなかった凡庸なデザイン。さらに、ヒンジドアのミニバンだったことからトヨタと言えども販売台数を伸ばすことができなかった。

ガラスルーフになるシザースドアが重すぎた

「トヨタ・ セラ/1990年発売」

 最後は、たぶん売れても売れなくても困るのだろうなぁなんて思わせた、トヨタの異端児であるセラだ。昔からあるヒンジ式ドアと後部にスライドするスライドドアはみなさん馴染みがあると思うが、セラはランボルギーニ・カウンタック同様のシザースドアを採用(バタフライやポップ式と呼ぶ場合もある)。それをコンパクトカーに採用したのだから面白い。

 さらにドアの上面であるルーフ部分もガラス製で、複雑と言えるドアの開き方とコンパクトカーながら不思議な開放感、日差しの強い真夏はきつかったが、これが両立できた希少なモデルであった。ベースとなったのは当時のトヨタのエントリーカーであるスターレットで、ドアの開閉が重かったことと(電動であれば違ったかも)や、目立つことを嫌うと言われる日本人の気質に合わなかったのか、サイズ良し、スタイル良しのいいこと尽くめでもヒットモデルとはならず。

 しかしながら、個体が少ない希少車ゆえの中古車人気はそれなりに高く、30年以上前のクルマでありながらベースとなったスターレットでは望めない価格で販売されている。トヨタは遊び心でセラを発売したのだろうが、このモデルも一周回って中古車市場で人気を博している。おそらくセラのようなクルマはもう二度と出てこないだろう。バブル期ゆえの遊び心か、挑戦か。自動車の電動化が急激に進むなか、自動車メーカーには今後も遊び心を失ってほしくはない。発売時は不人気でもいつどこで価値があがるのかは誰にも分らないのだから。

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