パッケージングもフィーリングも優秀だった
もちろん広く多くのユーザーにとって、初代プリウスの出来は上々だった。たぶん記憶が正しければ、初代プリウスが出た当時の筆者は、自分のクルマとして初代フィアット・プントを日常の足にしていた。あのG・ジウジアーロが手がけた、成田からの帰りに複数人数分のスーツケースも軽く呑み込んで走ってこられる秀逸なパッケージングが魅力の実用車の鑑のようなコンパクトカーだった。
そんなクルマのオーナーだっただけに、初代プリウスは「どうなの?」と半ば上から目線くらいで接したのだったが、いやはやというべきだったか、目からウロコが落ちたのを記憶している。とくに洒落たセンスとソフトフィール塗装を用いるなどした、上質なフィニッシュレベルのインパネを中心とする室内空間の快適性の高さには、舌を巻いたことを思い出す。
軽量化と空力のために樹脂カバーを採用したアルミホイール、アンダーフロアの平滑化、バンパー、内装材、防音材などのリサイクル素材の採用などもエコを重視した取り組みだった。
大ヒットには至らなかったが偉大な先駆者
それと、当然ながらモータードライブが可能な、新時代を拓くドライブフィール、トヨタのコンパクトカーとしては懐の深い乗り味などもいいと思えた。「ああ、今、エネルギーが回生されている、燃費が上がった」とエネルギーモニターの標示やグラフを見ながら、TVゲーム感覚(筆者はまったくやらなかったが)で一喜一憂しながらのドライブも新鮮だった。ただし販売上は、たしか当初は爆発的な台数を売り上げた風ではなかったが、それは215万円(ナビパッケージ車で227万円)の価格設定は、当時のカローラIIが130万円程度だったことと較べて、一般的にはハードルがやや高めだったからかもしれない。
初代プリウスでは広告宣伝に鉄腕アトムも起用され、21世紀、未来といった打ち出しにひと役買っていた。確かにアトムをリアルタイムでTVで見ていたような世代なら「そうかぁ、あのころの未来が現実のものとなったのかぁ」と感想を持ったことも確かだった。最新型プリウスの内・外観デザインの話は別として(とチクリと言いながら)、ハイブリッド車はいまや内燃機関をもつ低燃費車の代名詞だが、初代プリウスはこのジャンルのパイオニアであり、ハイブリッド車を代表するブランドとしてその後も進化、発展してきたのはご承知のとおりだ。