失われたイメージ回復のために伊藤主管は矢継ぎ早に改良を加えた
ファンから「史上最悪のスカイライン」と揶揄されたR31だが、櫻井氏の後を受け継ぎ開発責任者となった伊藤修令氏は、失われたスカイラインのイメージ回復のために矢継ぎ早に手を入れていく。
まずデビューから約9カ月後の86年5月に登場し、GTSと名付けられた2ドアクーペだ。スラントしたフロントフェイスに、メッキ類などの光物の廃止、すっきりしたトランクリッドなどに変更。さらにフロント可変オートスポイラー(70km/h以上になると自動でせり出す)を採用するなど、ソフィスティケートされた高級路線からスポーティなデザインやイメージに一新した(同月にワゴン、同年9月、4ドアにもGTSグレードを追加している)。
エンジンもタービンが軽量なセラミック製とすることでレスポンスがアップ。細かい改良でフィーリングは大きく改善した。軽量化にも着手し、4ドアと比較して100kg強のダイエットに成功している。
GTS-Rやオーテックバージョン投入などモデル後半は話題に溢れた
さらに1987年8月にはエンジンに本格的に手が入る。NICSも長さの違うブランチ内にバルブを設け、低速トルクと高回転のパワーを両立させるツインポートから、筒の中をふたつに分けて同様の制御を行うシンプルなシングルポートに変更。それに合わせてタービンもハイフロー化し、サージタンク容量の拡大やECUの見直しを測るなど改良は多岐におよび、RB20DETは10psの出力向上を達成。前期型とは別物のフィールとなった。また、4ドアの顔が2ドアと共通となり、全車スカイライン本来の血統といえるスポーツセダンに回帰した。
極めつきはグループA参戦ベースモデルであるGTS-Rの登場。210psは当時の2Lスポーツカーでは最強のスペックであり、800台の限定とあって申し込みが殺到するなど人気を集めた。
さらに1988年5月には、生みの親である櫻井氏がR31のひとつの完成形として手掛けたスペシャルチューンドカー「オーテックバージョン」(のちに3L V6エンジンを搭載するS&Sドリフトパッケージも車両持ち込みという形ながら生産)も誕生するなど、モデル後半は話題に溢れていた。
最終型の走りは洗練されたが、第一印象のイメージを覆すのは難しい
最初のつまずきで失敗作の烙印を押されてしまったR31だが、4年のモデルサイクルのなかで大幅な改良が施され、最終型の走りは初期型とは別物といえるほど洗練された。ただ、第一印象の悪さを好転させるのはやはり難しいモノで、販売台数は劇的な回復には至らなかった。だが、じつはバブル期のど真ん中に登場し、歴代でも名車の誉れ高いR32より売れている。そう考えるともう少し評価されても良いと思うのは、私だけではないはずだ。