4ローターのREから一転、ターボディーゼルにコンバート
このように熱烈なファンも少なからずいたのですが、残念ながら、C111が発売されることはありませんでした。ダイムラー・ベンツでは、C111はあくまでもさまざまな技術の先行開発車、テストベッドだとしたのです。
少しうがった見方をすると、4ローターのREを搭載したC111-IIまでは市販モデルの先行開発車、との意味合いもあったと思うのですが、REの熟成に手間取ったことに加えて、折からのオイルショック(第一次石油危機)が影響して燃費の良くないREに対して逆風が吹いていたことも見逃せません。
またボディをFRP(ガラス繊維強化樹脂)で成形していましたが、とくに北米での対衝突に、ダイムラー・メルセデスとして納得できる解決策が見つからなかった結果では、とする意見も聞こえていました。いずれにしてもC111は市販されることがありませんでした。
その後、C111はディーゼルエンジンに換装されてC111-ⅡDに進化していきます。当時は公表されることはありませんでしたが、C111-ⅡDに搭載されたディーゼルエンジンには、インタークーラー付きのターボチャージャーが搭載されていました。
そうです。オイルショックで逆風を受けるようになったREに代えて、俄然注目を浴びるようになるターボディーゼルのテストベッドとなったのです。同時にC111はレコードブレーカーとして結果に残る活躍を始めることになりました。
C111-II Dの後継モデルとなったC111-IIIのディーゼルエンジンは230hpと4ローターのC111-IIに比べて120hpにまでパワーダウンしていましたが、軽量で空気抵抗を低減したボディの強味か、1978年には9つの世界記録を達成しています。さらに4.8LのV8ガソリンエンジンに換装したC111-IVは、403.978km/hの世界サーキットの周回速度記録を達成しています。
最後になりますが、ボディサイズなどのスペックを紹介しておきましょう。まずエンジンは2ローターのREで排気量は600cc×4ローターの2400ccで、最高出力は350hp/7000rpm。トルクは4000rpmから5500rpmの広い回転域で40.0kg-mのトルクを発生していました。
ボディサイズは全長×全幅×全高が4440mm×1800mm×1120mmでホイールベースは2620mmと発表されていました。デザインを手掛けたのは第2世代のW126から第3世代のW140、第4世代のW220とSクラスを3代続けて手掛けることになり、ダイムラー・ベンツ・スタイリングセンターの責任者にまで上り詰めることになるブルーノ・サッコ。C111は彼がまだ若いころの作品で、このことからサッコの出世作とも評されています。
C111-IIは1970年の東京モーターショーでも出展されていましたが、奇しくも、REの本家(分家筆頭というべきか)の東洋工業もREを搭載したコンセプトモデル、RX500を出展しており、REスポーツの二大競演となっていました。ともにミッドシップレイアウトの2シーターでしたが、サイズ的にもエンジン的にもC111-IIがRX500よりもふたまわりほど大きいサイズ感でした。
C111-IIもRX500も、ともにコンセプトモデルで終わることになるのですが、C111-IIがREエンジンのREの熟成に手間取ったことからテストカーに留まっていた(何度も言いますが個人的にうがった見方に過ぎませんが)のに対して、RX500が市販モデルに進化できなかったのは、そのサイズのせいだったとされています。
初代コスモスポーツの後継モデルにと考えられていたRX500は、コンセプトの上からは大きすぎたのです。その辺りにも当時の、彼我のモータリゼーションの根付き方が違っていたであろうことを窺い知ることができます。