ケンメリGT-Rが活躍するためのシナリオは
RE軍団に敗北を喫した日産ワークスのハコスカGT-Rが、サーキットから撤退したのは1972年のシーズン最終戦。本来ならば1972年の10月にフルモデルチェンジを受けて登場した4代目スカイライン(C110系)に、翌1973年の1月に追加設定されるケンメリGT-Rが、ハコスカGT-Rに代わってRE軍団に雪辱戦を挑むはずでした。
実際、1972年の東京モーターショーにはプロトタイプ、それもレース仕様のケンメリGT-Rが参考出品されていたのですから。しかし何度かサーキットでテストされるケンメリGT-Rの姿がモータースポーツ誌に報じられることはありましたが、結局は実戦デビューを果たすことなく、そのまま記念庫に収まることになりました。
大きく重くなったことでポテンシャルが足りなかったから、と厳しい意見も聞かれましたが、ケンメリGT-Rが実戦デビューを果たせなかった最大の理由は、1973年度にJAFが国内競技規則を改定したことではないでしょうか。
これは、カムシャフトの本数と位置の違うヘッドを、50基生産することでレースオプションとして認める、というもの。REに関してはポート方式を変更するためのローターハウジングも、50基生産することでレースオプションとして認められることになり、それまでのハコスカ時代にGT-Rが、最大のアドバンテージとして持っていたツインカムヘッドが、GT-Rだけのアドバンテージではなくなることを意味しています。
実際、サバンナRX-3はペリフェラルポートにコンバートされていましたし、セリカの2000ccモデルも2LのR系エンジンにスペシャルヘッドを組付けていました。また日産もサニー・エクセレントにレースオプションのツインカム16バルブヘッドを用意。
さらにトヨタはスターレット用のK型に組み合わせるツインカム16バルブヘッドを開発していました。メーカーが排気ガス規制などの公害対策に追われたことも見逃せませんが、これだけレースオプションを開発して実戦に投入しているのですから、公害対策云々は、言い分けに過ぎません。
ところで、レースに出場しなかったケンメリGT-Rですが、もし参戦したならどんな展開となったでしょうか? ボディサイズで比べるならばハコスカGT-R(HT)は、全長×全幅×全高とホイールベース、車両重量が4330mm×1665mm×1370mmと2570mm、1100kgだったのに対してケンメリGT-Rは4460mm×1695mm×1380mmと2610mm、1145kgとなっています。
ちなみにレース用にチューニング(軽量化)する際には公認重量が目安になりますが、ハコスカは1020kgでした。一方のケンメリは、公認申請されていないので不明ですが、いずれにしてもハコスカよりは幾分重くなっているはずです。
こうなるとハコスカよりも有利なポイントが見つかりませんが、ボディ形状では有利だったとされていました。単に前面投影面積では大きくなって不利になったケンメリですが、リヤウインドウとトランクリッドの“段付き”がなく、空気がスムースに流れると考えられていたからです。
これらを合わせて考えても、ケンメリGT-RがハコスカGT-Rを上まわるパフォーマンスを示すのは難しかったと考えざるを得ません。しかし、ここからは個人的な夢想になりますが、市販モデルをリリースする際に、240Zに使用されていたL24や後に登場するL26、L28を搭載したモデルを設定してあったとしたらどうでしょう。
今でいうところのエボリューションです。例えばL26を搭載し、一層の軽量化を施したスカイライン2600GTとして1000台生産し、特殊ツーリングカー(TS)としてホモロゲーションを獲得するのです。そしてレースオプションとしてツインカム24バルブのヘッドを組付けたレーシングカーを仕立て上げる。ここから先は日産の追浜ワークスの出番……。そう考えたなら、まさに歴史は変わっていたでしょうね。