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絶対王者のハコスカGT-Rを引きずりおろしたロータリーの最終兵器! マツダの魂が込められたサバンナRX-3とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/富士スピードウェイ/マツダ/日産/Auto Messe Web

サバンナからカペラへと進化を続け、最終兵器のサバンナRX-3で王座に

 ファミリア・ロータリーは1971年に後継モデル……正確にはひとクラス上の上級モデルのサバンナが登場した結果、サーキットでもサバンナ・クーペに交代が進んでいきました。搭載されていたのはファミリア・ロータリークーペと同じ10Aエンジンで、ボディ重量がベースモデル同士の比較で50kg、公認重量で40kgほど増加しています。マツダ・サバンナ

 前後のサスペンションはストラット式/リーフリジッドと基本形式は同じでしたがホイールベースが50mm伸び、前後トレッドがともに100mm拡幅されるなどシャシー性能は高められ、フロントのディスクブレーキにはサーボのアシストが追加されていました。

 しかし200psを少し超えた程度のパワーでは220psとも230psとも言われるハコスカGT-Rとは勝負になりません。そこでまずは大パワーを絞り出す12Aエンジン(573cc×2ローター×2(RE係数)=2229cc。レース仕様の最高出力は230ps)を搭載したカペラ・ロータリークーペを実戦に投入。マツダ・カペラクーペ

 その熟成を進めたあとに、12Aエンジンをサバンナに移植する作戦で、最終的な主戦マシンとなったのがサバンナRX-3でした。これは元々輸出用のサバンナ(搭載エンジンは12A)の車名(グレード名?)となっていましたが、国内向けの市販に際してはサバンナGTのネーミングにあらためられたのです。マツダ・サバンナ

 同じエンジンを搭載していて公認重量で70kgの違いがあることから、サバンナRX-3が登場すると同時にカペラ・ロータリークーペは姿を消しそうなものですが……。ワークスチームで最後まで、RX-3に加えてカペラも使用されていた理由はシャシー性能の高さでした。

 フロントはストラットタイプで変わりはなかったのですが、リヤサスペンションが同じリジッド式ながら、RX-3がリーフスプリングでアクスルを吊ったリーフリジットだったのに対して、カペラでは4リンクとラテラルロッドでアクスルの位置決め。それをコイルスプリングで吊るタイプに進化していたのです。いずれにしてもロータリー軍団は、ハコスカGT-Rを着実に追い詰めていきました。マツダ・サバンナ

 ロータリー軍団とハコスカGT-R勢との“対決の図式”が鮮明になったのは1971年シーズンも後半になってから。それまでロータリー軍団が優勝したこともありましたが、それは日産ワークスが不出場だったレースでの勝利で、日産ワークスのハコスカGT-Rが、初めてロータリー軍団に敗れたのは1971年の富士TTレースでした。このレースで優勝したのはワークスのサバンナ。マツダ・サバンナ

 ただしこの日はアクシデントが続出し、ワークス激突、という前評判に反して、両者が雌雄を決する1戦とはなりませんでした。もちろん、ワークス・サバンナがレースを制し、ハコスカGT-Rの50勝目(この数字には諸説あり)がお預けとなったのは動かしようのない事実でしたが……。翌1972年にはロータリー軍団は、RX-3のデビューによって一層強化されることになりました。マツダ・サバンナ

 左回りのショートコースで行われた5月の日本グランプリ、ツーリングカーレース(T-b)では片山義美選手が駆るサバンナRX-3が優勝。高橋国光選手がドライブするスカイラインHT GT-Rは4位という結果に。マツダ・サバンナ

 それでも右回りの6kmフルコースではハコスカGT-Rのアドバンテージが保たれていました。30度バンクを駆け降りるコースに完璧にセットアップできているハコスカGT-Rに対して、ロータリー軍団はどうしても後れを取ってしまっていたのです。バンク走行中

 それでも、その差は着実に縮まっていきました。フルコースを舞台とする富士GCシリーズのサポートレースであるスーパーツーリングレースでは、ハコスカGT-Rが何とか優位を保っていたのです。ですが、迫りくるロータリー軍団の足音は、日増しに高まっていきました。

 開幕戦とシリーズ第2戦は高橋国光選手が、第3戦は北野 元選手が、王者の意地を見せて優勝を飾っていましたが、第3戦で優勝した北野選手はレース後に「従野はこれからもっともっと速くなっていくだろう。それにRX-3の足まわりが良くなったのは、後ろを走っていてよく分かった」とコメント。このレースでトップ争いを展開しながらも、トラブルで遅れた従野孝司選手と彼がドライブしたサバンナRX-3のポテンシャルを十二分に感じ取っていたようです。富士のレーススタート

 そして北野選手の予想通り、第4戦では増田建基選手のカペラが勝ち、最終戦では従野選手のサバンナRX-3が優勝を飾っています。そしてそれ以降、ワークスのハコスカGT-Rはサーキットから姿を消し、スーパーツーリングでの栄冠はロータリー軍団が独占することになりました。

 ハコスカGT-Rの優勝記録(連勝記録)には諸説があり、その連勝記録を止めたのが、はたしてサバンナRX-3だったのかにも論が分かれるところですが、例えその連勝記録をストップさせたのがカペラであろうとサバンナであろうと、サバンナRX-3が登場してマツダのロータリー軍団が勢いづき、マシンの開発も一層進んだことが、大きな要因となっているのは間違いないところです。そして1971年から1972年の2年間、ハコスカGT-Rとロータリー軍団が繰り広げたバトルは、これからも語り継がれていくことでしょう。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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