クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • 謎のドッペルゲンガー現象!? 二度見必至の「他人のそら似カー」6選
CLASSIC
share:

謎のドッペルゲンガー現象!? 二度見必至の「他人のそら似カー」6選

投稿日:

TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

同様のスタイルを纏ったクルマが存在する

 カタログを眺めていたり、雑誌を読んでいると「そういえばこのクルマって、あのクルマに似ているよね……」と思うモデルがある。意識をしたのか、偶然なのか……は、さておいて、ここでは“デザインが似ている”クルマを紹介していこう。

日産セドリック/グロリア & ランチア・テーマ

 Y31型・日産セドリック/グロリアは、あのグランツーリスモが初めて登場した世代だったが、このときのセダンは1987年の登場から2002年まで、世代を跨いで現役を貫いたモデルだった。首都圏にお住まいの方なら、小田原厚木道路(自動車専用道)で、ヘルメットは被らず青い制服だけ着た人が2名乗車のシルバーや白のこのクルマにはお目にかかりたくない……だろう。日産セドリック

 長く続いたということはそれだけデザインの耐久性が長かったことを意味するが、このクルマは、どう見ても1984年誕生のランチア・テーマに似ていた。どちらもクッキリと背筋を伸ばしたような端正なセダンのフォルムで、その上でとくにプレスドアとシッカリとしたグリップ式のドアハンドルあたりの雰囲気は瓜二つと言ってよかったほど。もちろんセドリック/グロリアの開発にG・ジウジアーロは関与していなかったはずだが……。ランチア・テーマ

ホンダ・アコード & BMW3シリーズ

 端正なセダンというと思い出すのが、かつてのホンダ・アコード。写真は1989年に登場した4代目のカタログだが、リトラクタブルライトの3代目からコンサバ路線に逆戻りしたか!? と思わせられるも、水平基調の奇をてらわないこのころのスタイルはいま見ても安心感がある。ホンダ・アコード

 そしてこのアコード・セダンのスタイルから連想させられたのが、1984年に登場したE30型・2代目BMW3シリーズ。4ドアモデルはこの世代からの設定だったが、サイドウインドウを一周するクロームの縁取りは、BMW固有のホスマイスター・キンク(Cピラー付け根の折り返し)ごと、アコード・セダンにも採用(!?)されていた、どちらも上品なセダンではあった。BMW3シリーズ

マツダ・ファミリア & プジョー205

 写真のファミリアは1989年登場の7代目。赤いファミリアから1世代挟んで登場したモデルで、それまでとは少し文脈を変えた個性派モデルとしての打ち出しを特徴とした。そして3ドアハッチバックの台形フォルムとスッと立ったキャビンが、あのプジョー205(1983年)を思わせた。マツダ・ファミリア

 ちなみに同世代の4ドアノッチバックセダンは、斜め後ろからみたときの分厚いトランク、太いCピラーがメルセデス・ベンツのW124型ミディアムクラス(Eクラス)風だった。ファミリアは欧州市場で人気の高いモデルだっただけに、現地の人気車にあやかった?プジョー205

ホンダCR−X & マツダ・ファミリアNEO & シトロエンC4クーペ

 CR−Xは1987年登場の2代目。“サイバー・スポーツ”のキャッチコピーとともに初代のデザイン、性能をより進化させて登場したモデルだった。とくにコーダトロンカのリヤエンドは初代を踏襲しつつ、エキストラ・ウインドウと呼ぶ後方視界を確保するためのウインドウを設置。ホンダCR−X

 CR−Xならではのスタイリングの特徴としていた……と思っていたが、同様のスタイルを纏ったクルマが続出。マツダ・ファミリアNEO

 8代目ファミリアのクーペ版だったファミリアNEO(1994年)や、シトロエンC4(2004年)のクーペが類似したスタイリングで登場した。シトロエンC4クーペ

マツダ・ファミリア・アスティナ &シトロン・エグザンティア

 前出の7代目ファミリア時代のバリエーションとして登場したのがこのアスティナ。後のランティス・クーペにも繋がる、スタイリッシュでスポーティな4ドア車として欧州でも人気の高かったモデル。ちなみにデザインのイメージは“ボブスレー”だった。マツダ・ファミリア・アスティナ

 このアスティナと“それとなく”イメージが繋がって見えたのが、シトロエン・エグザンティアだった。登場は1993年だったから、1989年登場のアスティナのほうが登場は先。だが、太めのCピラーや、ただの4ドアには見せたくない……そんな意志の感じられたドア、サイドウインドウまわり、短くノッチがついたように見えるリヤなど、この2車の通じるものがあった。シュッとした小気味よいプロポーションは、今でも良好なコンディションのクルマがあれば乗りたい……どちらもそう思わせられる。シトロン・エグザンティア

日産マーチ & フィアット・ウーノ

 日産マーチの登場は1982年、フィアット・ウーノは1983年のことだった。日産マーチについては“そのこと”が公のものとなったのは後年のことだったが、どちらもG・ジウジアーロがスタイリングを手がけたコンパクトカーだったという共通点をもつ。というよりも、ピラーの角度などを修正しながら見れば、オリジナルのアイデアは同じだったであろうことがわかる。日産マーチ

 ウーノでは、当時のいすゞ・ピアッツァに近いサテライトスイッチが備わるメーターまわりなど、よりジウジアーロ色が前面に打ち出されたデザインとなっていた。1980年代のシンプルでスマートなコンパクトカーを代表する2車だった。フィアット・ウーノ

すべて表示
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
著者一覧 >

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS