国内外での評価も高かったマーチ
日産の小型ハッチバック車であるマーチが、今夏で姿を消すとの噂が出ている。1982年に誕生したマーチの歴史に幕が閉じられるのか?
初代のスタイリングはジウジアーロが手掛けた
初代マーチは、いまから振り返ると、あらためて中身の濃い車種であることに思い至る。日産がマーチに賭けた思い深さを知ることができるのである。
開発されたのは荻窪事業所で、それはかつてのプリンス自動車の所轄だ。開発責任者は、のちにR32スカイラインと、そのGT-Rに携わった元プリンスの伊藤修令である。外観の造形は、イタリアのジョルジェット・ジウジアーロであり、それを基に日産が調整して仕上げた。車名のマーチは一般公募であり、この手法はサニーでも行われ、いずれも日産が拡販の思いを込め社運をかけて行った手法だ。ちなみに、最新の軽EVである日産サクラも、一般公募ではないが社内公募により選ばれた車名だ。
1974年に誕生したドイツのフォルクスワーゲン・ゴルフも、その基本的造形はジウジアーロの手によるものであった。ゴルフに通じる簡素でありながら存在感のある明快な姿は、そこからも初代マーチの商品性の高さを想像させた。
搭載されたガソリンエンジンは排気量が987ccで、当時人気を高めていたリッターカーの競合として、マーチは存在感のある一台だった。さらに、1988年にはRという高性能車を追加。これはターボチャージャーとスーパーチャージャーという2種類の過給機を装備し、最高出力85psを出した(標準車は57ps)。
数値だけを見れば100psに届かないと今日の感覚では思うかもしれないが、車両重量が710kgと軽自動車並みであり、パワー・ウェイト・レシオは8.35kg/psで、強烈な加速をもたらした。その後、マーチターボも現れ、こちらでは3速自動変速機の組み合わせも選べた。
初代マーチを基にした派生車種として、Be-1(ビー・ワン)、パオ、フィガロも生まれ、バブル経済を背景に多用途性を摸索したクルマでもあった。そして10年という寿命の永い車種でもあったのである。
CVTを採用した2代目マーチ
2代目は、一転して丸みを帯びた可愛らしさを印象付ける外観になった。提携関係にあった富士重工業(現SUBARU)の開発したベルト式無段変速機(CVT)を搭載した最初の車種でもあった。競合他車がまだ誕生していなかったこともあるが、国内外での評価も高く、日本カー・オブ・ザ・イヤーや欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。この2代目も、10年と永い寿命を保った。
欧州車のような操縦安定性を実感させた3代目
3代目は、ルノーとの提携の下で、共通プラットフォームにより開発された。走行性能は一段と高まり、欧州の小型車のような手堅い操縦安定性を実感できる。外観も独特で、同時に外装色も多彩で、明るい色のマーチが街にあふれた。
生産がタイになった4代目マーチ
そして2010年に発売された4代目が、現行マーチだ。3代目が欧州では外観が可愛らしすぎるとの評価があったとのことで、印象を変える姿に。また国内生産がなくなり、日本市場へはタイ工場での製造となった。
海外では、マイクラの車名で販売されてきたマーチは、欧州では先に2017年にマイクラとしてフルモデルチェンジし、3ナンバー車となっている。しかし国内においては、ノートが5ナンバーを堅持しているように、小型ハッチバック車は5ナンバーであることが重視される。トヨタ・ヤリスやホンダ・フィットは5ナンバーだ。国内向けマーチはどうなるのかが、注目されるところだった。
ノートは5ナンバーで、ハイブリッドのe-POWERの登場により、高い人気を得ている。マーチの価値をどう残すかが問われることになったといえるだろう。そこに、存続するかどうかの判断が関わることになる。