メルセデス・ベンツとアウトウニオンが戦前に繰り広げた最高スピード競争
つい先頃182億円で落札された「300SLウーレンハウト・クーペ」や、いまになって再注目のGT1ホモロゲ・モデル「CLK GTR」など、理性を超えたマネーが飛び交う超貫禄級スーパースポーツをさかのぼり始めたら、止まらないのがメルセデス。その原点となった一台といえるのが、1930年代に活躍した一連の「W25」だ。
「シルバーアロー伝説」はW25から始まった!?
W25は1934年、当時のグランプリに出走するためのフォーミュラカーとして、タイヤや燃料、オイルなどを抜きにして重量750kgとする当時のレギュレーションに照準を定めて開発された。当初のシングルシーター仕様に搭載されたのはスーパーチャージドのV8・3.36Lエンジンで354ps仕様だった。
同年のアイフェル・レンネンことニュルブルクリンクのレースでW25はデビューを飾るが、なんと出走前の車検で規定重量を1kgオーバーしていることが判明。かくしてレース前夜、メカニックがボディ塗装をヤスリで削ってマイナス1kgを稼ぎ出し、W25はレース本番にアルミの地肌剥き出しのボディで現れた……というのが、かの有名なシルバーアロー伝説の始まりとされるが、どうもこれは後世の脚色らしく、それより以前にアルミ剥き出しのメルセデス製グランプリカーがすでにシルバーアローを名乗っていたという説もある。
いずれにせよ、このデビュー戦でライバルのアウトウニオン・タイプAに1分20秒もの差をつけて衝撃のデビューウィンを飾ったW25は、伝説化して語らずにいられない存在だったということだ。
グランプリで勝ちまくったW25で最高速チャレンジ
1935年にW25は欧州の主要なグランプリ10戦中9勝という手のつけられない強さを見せた。翌1936年は、エンジニアにフェルディナント・ポルシェ博士、エースドライバーにベルント・ローズメイヤーを擁したアウトウニオンの後塵を拝するが、独裁政権下でイケイケだった当時のドイツ2大メーカーの争いはサーキットだけに止まらなかった。完成したばかりの高速道路、つまりアウトバーンにおける最高速が盛んに競われたのだ。
W25はまず1934年、M25Bという82×94.5mmのボア・ストローク比をもつ4L・430psのV8スーパーチャージドを積み、アヴス次いでブダペスト近くのギオンで、それぞれ311.98km/hさらに317.5km/hを記録した。
超・空力ボディのW25ストリームライナー
この頃まではシングルシーターに後付けのルーフやグリルを小さくしたノーズを装着した程度だったが、1936年のレコードカー仕様は革命的だった。新たに搭載されたエンジンは挟角60度で82×88mmのボア・ストローク比をもつ5.6L・V12で、出力はじつに620psに達していただけではない。ボディワークそのものが最高速トライ用に空力化、つまりストリームライナー化されていたのだ。
当時のメルセデスのエース、ルドルフ・カラッチオーラの手に委ねられ、フランクフルト~ダルムシュタット間で行われた1936年10月26日のトライアルにおいて、W25はトップスピードなんと時速372.1km/hに達した。その後に行われた1kmおよび10kmの区間計測においても、平均333.5km/hを記録している。
W125ストリームライナーが432.7km/hを達成!
ところが、この記録は翌1937年、アウトウニオンの「タイプCストリームライナー」とベルント・ローズメイヤーが叩き出した406.3km/hに破られる。だがメルセデスも反撃の手をゆるめず、例のルドルフ・ウーレンハウトが開発を主導してW25シャシーの弱点を克服したW125を投入、1938年1月28日に行われたトライアルでW125ストリームライナーは432.7km/hでふたたび王座を奪回した。しかし同日に行われたアウトウニオンの試走では、ベルント・ローズメイヤーが凄惨なクラッシュによって落命するという痛ましい事故が起きた。
開戦で幻と消えた600km/h超えの夢
かくしてメルセデスvsアウトウニオンによる対決の構図は終止符を打ったかに見えた。だが、時代の狂気を感じさせるのは、アメリカはボンネヴィルで1938年9月に打ち立てられた地上最高速度記録575km/hに対抗するため、アウトウニオンで開発していたポルシェ博士がドライバーのハンス・シュトゥックに促され、ライバルだったはずのメルセデスで新たなストリームライナーを開発していたことだ。
それが1939年に記録にトライする予定だったT80だが、10月のデビュー・イベントよりも先に第二次大戦が勃発し、一度も試走に供されることはなかった。4万4500ccの航空機用エンジンDB603を搭載し、Cd値0.18を誇った空力ボディで、ポルシェ博士は600km/h超えを想定していたといわれる。
誰も目にすることのなかった究極のパフォーマンスとはいえ、「最善か無か」がモットーとはいえ、無とはいわせない凄み。メルセデスらしいサムシングではないだろうか。