10年目を迎えた「フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー」
旧いクルマが現役だった往時の雰囲気を再現するヒストリックカー・レースが欧米で盛り上がりを見せているのに刺激を受けて、日本でも「サイドウェイ・トロフィー(Sideway Trophy)」が開催されたのは、2004年の筑波サーキットが始まりだった。
2004年からしばらくはほかのサーキットイベントで1枠を借りて継続
参加するマシン(1950年代から1960年代末)が現役だった時代を尊重したレギュレーションは、当時のレーシングタイヤであるDUNLOP CR65 Lセクションをコントロールタイヤとして使用。時代性を考慮して過度なチューニングを禁止し、勝利至上主義ではなく、愛車の潜在能力を自身で引き出すことへの楽しみを目指すという趣旨である。
それだけでなく、スポンサーやショップのステッカー類をも規制し、しっかり時代考証を行ったマシンでの参加を呼びかけたのだった。
アマチュアの遊びといえどもレースは競争であり、勝利を目指すのはもちろん、現代の技術を取り入れたチューニングも当然……そんな「常識」に当てはまらないサイドウェイ・トロフィーの趣旨は、当初は理解されにくい面もあった。
だが、そうしたシーンを求めるヒストリックカーのオーナーも、潜在的に少なくなかったのだろう。回を重ねるごとに賛同者が増えていった。そしてレースの勝ち負けだけではなく、豊富な車種バリエーションと、古くてかわいらしいクルマが意外なほどのパフォーマンスを発揮したりすることで、観客たちも盛り上がれる雰囲気が醸成されていく。
勝ち負けよりも愛車の時代考証と雰囲気を楽しむ
また雰囲気作りにもこだわりを見せており、服装も当時風のものを強く推奨。じつはこちらのほうが風当たりは強く、「外国かぶれ」や「コスプレか」と揶揄されることもあったが、そうしたことも楽しんでこそ大人の遊び。成りきったもの勝ちとばかりに、雰囲気作りを楽しむエントラントも徐々に増えていくのだ。
当初はスポーツカーとサルーンカーが混走するレースだったが、参加台数が増えてきたこともあり、スポーツカーの「EVER GREEN」、サルーンカーの「TIN TOP」と2枠に拡大して走行するようになった。筑波をメインに、ツインリンクもてぎ、富士スピードウェイと、コースバリエーションも増やしていく。
2012年から独立したワンデイイベントとしてスタート
そして10年前の2012年11月18日、千葉県にあるサーキット「袖ヶ浦フォレストレースウェイ」を舞台に「フェスティバル・オブ・サイドウェイ・トロフィー(Festival of Sideway Trophy)」と改名。旧い2輪車と4輪車のワンデイイベントとして、新たなスタートを切ったのだった。
新しいヒストリックカーレースの祭典の門出に際して、元レーシングドライバーのレジェンド・生沢 徹氏もイベントの趣旨に賛同してアドバイザーを務め、自身もステアリングを握って往時と変わらぬ走りを披露。大いにシーンを盛り上げてくれた。
クラシックなファッションの「グリッドレディ」が華を添える
さらにワンデイイベントとして再スタートを切ってからは新たな名物(?)として、会場を盛り上げてくれる「グリッドレディ」も見逃せない存在だ。グリッド整列時にはサインボードを持ち、決勝レース直前の緊張感をほぐしてくれるサーキットの華である。
現在では日本でも屈指のヒストリックカーレースとして認知され、2輪車、4輪車が黄金期だったころのモーターレーシングの再現を楽しめる1日として定着。そのため、ル・マン24時間レースやセブリング12時間レースほか、世界の名だたるレースを実際に戦った歴史的なレーシングカーもこのイベントに出場して、大いに盛り上げてくれている。
そしてエントラントだけでなく、観客も当時風の服装を楽しんで、この日集まったすべての人たちが主役になれるイベントとなっているのだ。