市販車のクオリティアップを図ったモンテゼーモロ
1973年にルカ・ディ・モンテゼーモロをスクーデリア・
市販車のほうでは、1950~60年代を代表するV型12気筒エンジン搭載車の250シリーズが、275、330、365へと発展。1970年を迎えた時点でV型12気筒エンジンをフロントに積んだ各車と、V型6気筒ユニットをミッドシップの位置に搭載するディーノを生産していた。
当時のトップモデルは1968年登場の365GTB/4デイトナで、フロントエンジンにこだわりながらランボルギーニをはじめとするライバルに対抗した。しかし、他ブランドのスーパーカーがミッドシップを採用し始めたこともあり、デイトナの後継車として1973年に市販が開始された365GT4/BBは、フェラーリ初の12気筒ミッドシップ車となった。
ディーノは1973年にV型8気筒を積んだベルトーネ・デザインの308GT4に発展。その後、ピニンファリーナ・デザインの308GTBが1975年にリリースされ、この308シリーズのラインが今日まで続くV8ミッドシップフェラーリの始祖となった。365GT4/BBをルーツとする180度V型12気筒エンジンミッドシップ車は、1990年代までフラッグシップモデルとして君臨した。
創業40周年記念モデルであるF40発表の翌年、1988年8月14日にエンツォ・フェラーリは死去。その後、社長に就任したルカ・ディ・モンテゼーモロが市販車のクオリティアップを図ったことで好調なセールスを記録している。成績不振だったスクーデリア・フェラーリも建て直し、F1グランプリにおいて1999年から2004年まで6年連続でコンストラクターズチャンピオンを獲得するまでになった。
現在もフェラーリの各車は自動車趣味人を魅了し続けており、これからも圧倒的なカリスマ性を誇ったエンツォ・フェラーリの威光が色褪せることはないのであった。