日本で10番目の自動車メーカー
「光岡自動車」渾身のオロチとは
富山県の自動車ディーラーであり、独創的なスタイリングのクルマを販売する、日本で10番目の自動車メーカーでもある光岡自動車(以下、光岡)が、2006年に送り出したモデルがオロチ(大蛇)だ。光岡は中古車販売に始まり、1982年に自動二輪免許・原付免許で運転が可能な50ccエンジンを搭載した「ゼロハンカー」の「BUBUシャトル」を発売。業界の異端児として存在感を高める。
そして1982年からオリジナルカーを発売しており、1990年には日産シルビアをベースとしたラ・セードをはじめ、2代目マーチがべ―スながらジャガー・マークⅡのようなルックスで話題をさらったビュートで名を馳せ、市販車をベースに独自に仕上げたデザインが好調を博した。そして1996年に発売したロータス・スーパー7のようなゼロワンが、当時の運輸省から型式認定されて、正式に日本の自動車メーカーとなったわけだ。
初代NSXをベースにミドシップらしい
スタイリングでデビュー!
そんな光岡の異色モデルがオロチだ。2001年の東京モーターショーに出品されたオロチのコンセプトカーの前には黒山の人だかりができたほどで、その姿をひと目見ようと大フィーバーとなった。なお、このオロチのコンセプトカーは、デザイナーの青木孝憲さんが日本神話のヤマタノオロチからインスパイアして作り上げたもので、初代ホンダNSXをベースとしたミドシップのオロチは一躍大人気に。その後、2003年にも市販化の予定がないなかでコンセプトカーとして展示すると、その人気には衰えがなく、またもオロチは大いに話題をさらったのである。
外観を細かく説明するのは野暮なクルマだが、光岡がレトロではなくて自社が発信したスポーツカー、それがオロチであり、前後の異形丸目4灯や爬虫類的なフロントグリル、低いノーズから流れる小さなキャビンとミドシップの証であるエアインテーク。さらにテール周りの盛り上がりなどは、まさにスーパーカーのそれであり、同時に日本らしさを失わないスタイリングであった。
ヤマタのオロチと言われても、ピンと来る方は少ないだろうが、このデザインを見て、オロチと言われても、なんで? と思う方は少ないであろう秀逸なスタイリングだ。これだけデザインに躍動感があり、ネーミングとスタイリングが絶妙に昇華して、周囲を納得させる力があったのだ。
光岡独自の知見に加えてホンダと
トヨタのサポートもあり市販化
そして光岡はオロチの市販化に踏み切った。正直に感じることなのだが、市販のクルマをベースとして外装に手を加え、特定のユーザーや固定ファンを納得させることは、これまでにも数々の個性的なモデルを製造・販売してきた光岡であれば難しいことではない。だがオロチのコンセプトカーは市販化を予定しておらず、もちろん初代NSXの中古車をかき集めて販売するなんてできるはずもなく……。そこで光岡 進代表が取った手段が、他社のコンポーネントを入手して自分たちで作り上げること。
光岡には幸いにもこれまでの知見と各メーカーとの連携や委託があり、往年のスーパーカーをばらして調べ上げ、研究してきた経験から独自に製作を決意。トヨタの海外向け3.3L V6エンジンと5速ATを入手できることとなり、電子部品やイモビライザーなども含めて、信頼ある高性能なパーツでオロチを作り上げることができた。
シャーシは2005年の東京モーターショーでオープンの「ヌードトップ」が展示されたことからもわかるように、フロアで剛性をしっかり確保。衝突安全性は他社で実績があるクラッシュボックスを配して、エンジンや足まわりも国内の一流企業の協力もあり、市販化にたどり着いた。
室内も元有名メーカーの技術者が光岡に所属していたため、その知見を採用。外板もFRPやさまざまな素材をうまく組み合わせて、あの奇抜なデザインを実現させている。とはいえ有名メーカーの高性能部品が入手できたとしても、簡単に市販できるレベルに辿り着けるはずがない。そこは光岡の熱意と努力、そして関与するメーカーの協力があってこそ、完成にこぎ着けたのは間違いないだろう。