官能的なサウンドがワーグナーに擬えられる
この3.2L直列6気筒DOHC NA(S54B32型)は、最高の直6という呼び声を欲しいままにしながらE46型M3にも搭載され、前述した通りとにかく高回転域の伸びが素晴らしかった。それはロングストロークの3.2Lとなったことでさらにピストンスピードは高まり、当時のF1と同等レベルまでの性能が追求され、8000rpmで343psを発揮するだけに瞬発力のある高レスポンスを実現。経験上、BMWのエンジンは5万km程度走らせるとカタログ以上の数値を発揮することがあり、適切な慣らし運転によって丁寧に仕上げられたエンジンは350ps(カタログ値343ps)近く出ていたとも言われている。
そのフィーリングの良さは、排気音よりもS54B32型エンジンや6連スロットルを含めたメカニカルなサウンドによるところが大きい。ドライバーを刺激するような官能さに満ち溢れており、開発スタッフは「どうだ、ワーグナーのようだろう」と豪語したというエピソードがあるほど。個人的にはベートーベン作曲の「エグモンド序曲」のクライマックスのようであったとも言える。残念ながら日本仕様のE46型M3では250km/hでリミッターが作動するようになるも、高精度なエンジンが奏でるサウンドは、まさにミュージックと擬えることができる素晴らしいものであった。
それは高速域のクルージングも苦手とせず、100km/hで走りたいと思えば右足次第でその速度をキープすることが可能であった。例えば上り坂で速度低下が予想されるシーンでは右足の親指の付け根に少し力を加えるだけで速度を保持することができ、追い越しの際、アクセルを少し踏み込む程度で良く、さらに6速MTを駆使すれば、BMWが掲げる『駆け抜ける歓び』を享受することができた。逆に雑な操作には乱雑な反応を示し、その意味ではS54B32型エンジンはドライバーがコントロールできるメカとして、素晴らしいものであった。
こうしたフレキシブルかつ扱いやすさは現在のMモデルにも継承されているが、やはりターボとNAの違いは否めない。適切かどうかは難しいが、現在のターボが出力をコントロールするのに対して、NAはエンジン回転数を支配する。バイクの2サイクルと4サイクルの違いといえばイメージしやすいだろうか。
一心同体になれる信頼関係がBMW M3の魅力
それでいて渋滞も苦にせず普段の足として使える万能性も持ち合わせており、2週間ぶりに動かして近所の買い物に出かけるときでも気難しさを見せず、ドライバーの意のままにという運転することができた。たまにしっかりアクセルを踏み込みたいという場面では、水を得た魚のようにと本領を発揮。現在では軽量の部類に入る1.5t程度のボディの効果もあり、ほかのスポーツカーに『道を開けてね』と思わせるような走りも得意であったのだ。
S54B32型エンジンはNAの直6の最高峰に位置すると言えるが、それは高性能さだけではない。素晴らしいシャーシと適切なサスペンション、そこへクルマを運転するドライバーによるMT操作とアクセルペダルを適切に制御して走らせることで、ドライバーとクルマがお互いに信頼しあえるバディとなることができた。
今後の電動化シフトによってピュアなガソリンエンジン車は姿を消していく。それだけに過去の遺産といったらS54B32型エンジンに失礼だが、元オーナーとして“ヨンロクM3”に搭載されたシルキー6は、後世に遺したい誉れ高きクルマの歴史的遺産であることは間違いないだろう。