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歴代開発陣が語るGT-Rが50年以上も愛される理由

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TEXT: GT-R Magazine 野田航也  PHOTO: GT-R Magazine

R35統括責任者「田村宏志氏」語る

 昭和59(1984)年、「日産自動車」に入社。R34型では商品主担として最後の「ニュル」や’01年の東京モーターショーでサプライズ公開された「GT-Rコンセプト」の企画などを担当。’13年4月よりR35の統括責任者としてGT-Rの開発現場に復帰。2014年モデル以降、「GT」(基準車)/「R」(NISMO)という二つのゾーニングでR35に新基軸をもたらした。そんな現役ミスターGT-Rとも言える田村氏から、50周年を迎えてのメッセージを頂戴した。

ハコスカの衝撃がその後の人生を決定づけた

 かつてわたしが担当したR34では、最終の限定モデルである「ニュル」のカタログに「Thanks to You」というメッセージを記しました。GT-Rが生誕50周年を迎えた今も、同じようにお客さまへの感謝の気持ちでいっぱいです。GT-Rの担当者として、ある種の節目みたいなところにいさせてもらえたというありがたみもありますし、自分が仕事として関わってきたモノが世の中に広がりを見せるということは、今も昔も感慨深いものがあります。わたしが10歳の時に富士スピードウェイで見たハコスカGT-Rのインパクト。レーシングカーのものすごい衝撃を受けてから50年近くが経ちました。あの日「自分は将来、日産に入ってGT-Rを造るんだ」と決意したのです。それが今のエネルギーになっていますし、お客さまが喜ぶ顔が見たいという気持ちの原動力にもなっています。

 わたしはお客さまに寄り添うという感覚や、ニーズを把握するということを永遠のテーマとしてこれまで商品企画に携わってきました。こちらはあくまでクリエイターであり、主はあくまでお客さまなのです。アウトプットしたことに対してのお客さまのリアクションで決まっていくわけですから、そういうキャッチボールが楽しいというのもあります。

究極的に楽しいことを永遠に追い求めるのが宿命

 今はSNSやインターネットで利用されるコネクションが世界中に広がっているダイナミックな時代です。クルマ好きの情熱とか温度というのは、日本だけではなく古今東西、海外にも共通する部分があると思っています。’01年の東京モーターショーで次期型GT-Rのコンセプトモデルを左ハンドルとしたのは、次はグローバルカーにするというメッセージだったわけですが、あれから18年でこれほどGT-Rが世界に広まり、その価値を多くの方にわかっていただくことができました。とはいえ、世界的なファンに対してはまだ足りていないところもあるので、わたしにもっと貢献しなさいと言われるのであればそういう部分を少しずつでも足していきたいですし、GT-Rの深化はまだまだ止まりません。

「GT-R Magazine」というメディアが繋ぐ世界感はすごく尊敬していますし、R’s MeetingはGT-Rファンの皆さまと触れ合い、諸先輩たちと再会できる貴重な場所でもあります。そのようなチャンスを与えられて思うのは、人それぞれに個性がある中で、多少のニュアンスの違いはあったとしても根本に流れている血はあまり変わらないのではないか、ということです。

 同じようなジャンルの人たちが日産のDNAの中で紡がれてきたからこそ、GT-Rは50周年を迎えることができたのだと思います。漠とした言い方ではありますが、「究極的に楽しいとは何ぞや」ということを永遠に追い求めるのがGT-R、もしくは日産の世界感なのかもしれません。わたしではなくても当然続けていかなくてはならないでしょうし、それが日産の宿命だと思っています。

※この記事は2019年10月1日発売の「GT-R Magazine 149号」に掲載した記事を元にを再編集しています)

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