今年で5回目を迎えた富士24時間レース
北海道・十勝の24時間レースが終了して何年になるだろう。ドイツのニュルブルクリンク24時間レースから帰って来ると、続いて十勝24時間というパターンが数年続いた。
そのニュル24時間も、2015年以来出場していない。言えば2019年、アストンマーティンがF1に参戦する直前、最後のワークスチームから新型ヴァンテージのデビュー戦に呼ばれながら、ライセンスの更新ミスで棒に振る。
そして6年ぶりの24時間レース参加は、ホームである富士スピードウェイだった。富士で24時間レースが開催されたのは1960年代の話。自分が現役のころに富士24時間レースはないが、それがスーパー耐久の1戦として復活し、今年で5回目を向かえる。
技術者たちの思いが込められた“自己啓”チーム
昨年に続いて2年連続で24時間に出場が叶うが、それ以前に一度も観戦にすら行かなかったのは、行けば出たくなるものの、話をしようにも、もはや昔のツテもないからと諦めていたから。
それが昨年、90年代に世話になったホンダ技研のしかも当時と同じ研究所(ものづくりセンター)チーム。正式には「Honda R&D Challenge(以下、ホンダR&Dチャレンジ)」から、還暦ドライバーにお誘いを頂き、謹んでお受けした。
採用理由を要約すると24時間、25時間レースの経験が30戦以上あり、それなりの戦績を残していること。「ホンダR&Dチャレンジ」と名称は“ワークス”っぽいが、じつはホンダ社内とホンダ関連企業の有志が有給休暇を使い、身銭を切って参加するクラブチームである。つまり経験の浅いそこで、過去のメーカーとのやりとり、海外ワークスチームなどの経験からの助言、時に厳しい話も必要だという。
初耳は、この集まりを「自己啓発」と呼ぶこと。レーサーになる以前、富士SWのグランドスタンドから観戦していたころ、ホンダ車で活躍していた「チームヤマト」もじつは「自己啓発」のクラブチームだった。通称“自己啓”は現在、今回のシビック・タイプRを走らせる以外にも3チームほどあるという。
何故、“自己啓”なのか? レース活動がどれほどヒトを育て、クルマも育て、機械を進化させてきたのか、もっとも深く知るはずのホンダをして、何故クラブ活動なのか。やりたいヒトは自分でやれ!?……いや逆だ、会社がやらないなら自分たちでやる!! という気持ちの表れだ。しかも現在の担当部署では業務としてのレースは不可能。ならばクラブ活動で、先人たちが築いた“自己啓”を使えば、仕事ではなくその世界に行ける。それが今に受け継がれ、やる気のある若いヒトたちは先輩からその存在を聞き、自ら志願して集まる。
桂が研究所チーム(ものづくりセンター)に世話になった90年代は、まだホンダ上層部にレースの重要性を知る方々が大勢いて、レースをやりやすい環境だった。それが今はF1(エンジンの技術支援)と国内の最高峰だけに特化して、もっとも重要な量産から離れてしまう。しかもスポーツモデルも排除し続け、気付けばシビック・タイプRだけが残る。
今年の“富士SUPER TEC 24時間レース”は出場56台。うち全クラスを数えても、ホンダ車はわずか7台!! これが現実だ。なのでホンダファンからすれば、ワークスでも一流レースチームでもないが現行車で走る「ホンダR&Dチャレンジ」を応援したくなるのも道理である。
海外レースのような雰囲気が漂う富士24時間レース
レースはドラマだ。というのはトラブルからピットで9時間以上を過すことになった昨年、2021年の話。今年もジャーナリスト/レーサーとして活躍するフジトモ=藤島知子さんと桂の2名がゲストドライバーとして、レギュラーの4名に加わる6名体制を敷く。「昨年と同じメンバーで雪辱を果したい!!」もちろん言われるまでもなく待ってましたと、嬉しいオファーにふたたび加わる。
しかし富士24時間に来て日本も変わったなぁと目を見開いたのは、まず子ども連れが多いこと。土手やグリーンに陣取ってカメラを向け、スナックを頬張りながらジュース、ビール片手にお気に入りのマシン、選手が通過するのを見送る微笑ましい光景が広がる。
富士が用意するエリアもあるが、要所要所にテントが張られ、陽が落ちる前からはバーベキュータイム。レースがスタートして夜の帳が降りると、上空には花火が咲き、その下で直列3気筒/4気筒/5気筒/6気筒、V型6気筒/8気筒/10気筒のエンジンサウンドが鳴り響きこだまするBGMを聞きながら、リラックスしたバーベキュー&アルコール摂取、そしてお休みタイム……。
レース好きにとってこんなに優雅なシーンはなく、これはまさに欧米の観戦スタイルであり、“ニュル24時間”もこうだ。いえばキャンピングカーがところ狭しと入り組んで駐車する点が違うが、それにしても日本がこうなるとは感無量である。