戦後BMWの経営を救ったマイクロカー「イセッタ」
第二次世界大戦後の復興期、ヨーロッパでは庶民の足として数々の超小型なクルマが生み出された。なかでもひと際ユニークな存在が、ボディのフロントを冷蔵庫のように開けて乗り降りするふたり乗りの3輪車「イセッタ」だ。同時代の「メッサーシュミット」や「ハインケル・カビーネ」などとともに、「バブルカー」と呼ばれたりもする。
「浅間サンデーミーティング」6月はドイツ&北欧がテーマ
毎月第3日曜日の朝、浅間山のふもとの「鬼押出し園」駐車場で開催されている趣味なクルマの集会が「浅間サンデーミーティング」だ。朝に集合して昼前にサッと解散するため、昼から観光地に行ったり家族サービスもできる、オトナのイベントである。毎回、「国産車」や「イギリス車」といったテーマを決めていて、6月19日(日)はドイツ&北欧が特集された。
天候が不安定なこの時期にありながら、当日は恰好のドライブ日和に恵まれ、各地から新旧のポルシェ、メルセデスベンツ、BMW、フォルクスワーゲンを中心に、少数勢力ながらオペルやサーブ、ボルボも集まってにぎわいを見せた。
スポーツカーより目立ってた小さなアイツ
迫力ある大柄なドイツ車がひしめく会場のなかで、小さすぎて逆に目立ちまくり、つねに人だかりができていたクルマがある。それが、青い1961年式の「BMWイセッタ300ブライトン」だ。
オーナーの伊藤博之さんは岐阜県瑞浪市にお住まいで、御年68歳。じつは1960年式メッサーシュミットも28年にわたり所有している、「バブルカー」趣味の大ベテランだ。
「以前に別のイセッタを持っていたのですが手放すことになり、それでも後ろ髪を引かれる思いだったんです。6年ほど前にバブルカー仲間が今のイセッタを手放すというので、買い取りました」
右ハンドルのイギリス製「ブライトン・イセッタ」
さて、目ざといマニアの方ならお気づきのことと思うが、このイセッタはフロントドアがドイツ仕様のものと逆ヒンジで、しかも右ハンドル。イギリス仕様なのだ。
もともと「イセッタ」は、イタリアのイソ車が1953年に発売したもので、BMWがそのライセンスを買い取って2輪車「R25」のエンジンを搭載し、「BMWイセッタ250」として55年に発売した。その後、排気量をアップした「イセッタ300」へと進化させ、4輪の「イセッタ600」も展開する。
BMWはその一方、イセッタの輸出権もイソ社から取得していて、世界各国でライセンス生産が行われた。イギリスでは実業家のロナルド・J・アシュレイが「イセッタ・オブ・グレート・ブリテン」をブライトンに設立し、1957年4月から「BMWイセッタ」として現地組み立て生産をするようになった。59年に「ミニ」が登場したことで打撃を受けたとされるが、それでも1964年までに約3万台がブライトンで生産されたらしい。
通称「ブライトン・イセッタ」と呼ばれるイギリス産のBMWイセッタは、かの国の税制の影響もあってほとんどが3輪モデルで、もちろん右ハンドルが好まれていたわけだ。なお、パーツサプライヤーは途中からルーカスやスミスなどイギリス企業が増えていったようで、こちらの61年式ブライトン・イセッタもヘッドライト、ウインカー、テールランプはすべてルーカス製が装着されている。
ちなみに屋根のサンルーフは遊びのための快適装備ではなく、前開きのイセッタにとっては緊急時の脱出口という重要な意味があるそうだ。