GTマシン譲りのワイドボディで駆動方式はFR
GT選手権に参戦するR33と同じ仕様でル・マンに参戦するには、先の規則に合致した“公道走行可能な市販車両”が存在しないと認可が下りなかったのだ。そのために“たった1台”だけ製作されたのが『GT-R LM ロードカー仕様』である。ボディの骨格は量産型のR33GT-Rと同様ながら、ストラットハウスを一部切除し、GT1仕様のGT-R LMのサスペンションを取り付けるためのパネルが新設されている。リヤも同様にサスペンションの取り付け位置を変更。
要はGTマシンと同じ足まわりレイアウトや駆動方式(FR)、外観デザインを持つナンバー付きの車両をワンオフで製作することで、レース参戦に必要な認可を取得したということ。この車両をベースにレース用マシンを作り上げるのではなく、既成事実として欧州の公道を走ることができる「GTと同じ仕様」のナンバー付き車が存在することを示せばよかったのだ。
意外にも中身はほぼノーマルのままだった
見た目はGTマシンばりの迫力だが、エンジンはほぼノーマルでボディ補強もほとんどされていなかったという。いかにも速そうなGT-Rに見えるが、実際はこの個体でレースに出るわけではない。ル・マンに参戦の認可を得るための形式的な車両だったというわけである。ちなみに、当時は量産車に搭載していた直列6気筒ツインターボエンジンのRB26DETTではなく、前後の重量バランスを最適化するためにV6ターボエンジンへの換装も視野に入っていたという。
その後、GT選手権の晩年にはV6エンジン搭載のR34GT-Rで有終の美を飾り、第3世代のR35GT-RはV6ツインターボエンジン+トランスアクスル(トランスミッションを車体後方に搭載)という新しいパッケージレイアウトでブレークスルーを果たした。そう考えると、R33でル・マンに挑戦したことの意義は大きかったと言えるかもしれない。
ル・マンのGT1仕様(23号車)とGT-R LM ロードカーは、今も日産・座間事業所にある「ヘリテージコレクション」に保管されている。2台が並ぶとボディワークの共通性が見い出せる。
ル・マン参戦初年度の’95年はGT仕様の23号車(星野一義/鈴木利男/影山正彦)がリタイア、N1エンジン仕様の22号車(福山秀朗/近藤真彦/粕谷俊二)が見事に総合10位入賞を果たした。
エンジン本体などパワー関係はほぼノーマルだったと言われている。ストラットハウスの形状はあらためられており、サスペンションの付け根が市販車よりも内側に移動されているのがわかる。
全長×全幅×全高=4,675mm×1,880mm×1,300mmと量産車のR33GT-Rよりもかなりワイド。サスペンション形式は前後ダブルウイッシュボーンで灯火類は欧州の法規に合わせて変更されている。
R33GT-Rのル・マン参戦記念モデル「LMリミテッド」。’96年5月~7月の期間限定で販売された。ボディカラーは「チャンピオンブルー」と名付けられた。標準車とVスペックそれぞれに設定された期間限定車。特別装備としてフードトップモールやカーボンセンターリヤスポイラー、専用ステッカーを配した。