いまだに多くのファンを魅了して止まないいすゞ車
いすゞと言えば今では「運ぶを支える」を企業理念とし、バスやトラックといった人員輸送や物流で活躍する車種を多くリリースしている商用車メーカーという印象が強い。しかし過去には個性的な乗用車を多くリリースし、その魅力的な車種たちはいまだに多くのファンを魅了して止まないというのをご存知の方も多いことだろう。
残念ながら1993年をもって乗用車の開発、生産を中止し、2002年にはSUVとOEM販売していた乗用モデルもすべて販売を終了してしまっている。今回はそんないすゞが生み出した数々の普通車たちを駆け足となってしまうが振り返ってみたい。
ベレット
1963年に登場したベレットは、中型セダンのベレルの小型版として登場したモデルであったが、共通点は車名のみとなっており、メカニズムに関してはさまざまな新機軸のものが採用されていた。
「タイプB」以外には4輪独立懸架式のサスペンションを採用したほか、ラック&ピニオンのステアリングや4段フロアシフトなどを備えたスポーティサルーンとして話題を集めた。
デビュー翌年には2ドアボディを纏った「GT」が登場。このモデルは国産車で始めてGTを名乗った車種としても知られており、日本車の量産市販車としてフロントディスクブレーキを採用した初の車種でもあった。
そして1969年にはベレット最強のモデルである「GTR」が追加。これには117クーペ譲りの1.6LのDOHCエンジンが搭載され、強化されたサスペンションやサーボ付きのブレーキなどを備えている。「ベレットGTX」の名前でレースに参戦したプロトタイプを市販化したホッテストモデルだったのである。
117クーペ
いすゞのフラッグシップクーペとして、1968年の登場から1981年の生産終了まで長期間にわたって販売されていた117クーペ。その日本車離れした流麗なデザインは、かの有名なデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロのものであった。
美しいデザインだけでなく、いすゞ初の量産DOHCエンジンを搭載したり、日本で初めて電子制御燃料噴射システムを採用したりと、メカニズム敵にもエポックメーキングな1台となっていた。
そんな117クーペは大きく分けて前期、中期、後期となっており、最初期のモデルはその美しいボディラインを実現するために多くの部分で手作業による仕上げがなされていたことから、「ハンドメイドモデル」とも言われている。
1973年に登場した中期型では、当時のGMと提携したことでプレス成型の技術を習得。初期型のデザインを大きく変えることなくプレス成型による量産化を実現していた。
そして1977年になると角目4灯のモダンなスタイルとなった後期型へと変更を受ける。78年には排出ガス規制によって抑え込まれてしまった出力をカバーするために2Lモデルをリリースしたほか、79年には前期型でわずかながら生産されたディーゼルエンジンモデルをカタログモデルとして投入。
試作車は2Lディーゼルエンジンだったが、カタログモデルでは2.2Lのディーゼルエンジンとし、スペシャリティカーでありながら、ディーゼルエンジンをラインナップする稀有な存在となった。
ジェミニ
1974年に初代モデルが登場したジェミニは、当時提携していたGMの世界戦略車構想に基づき、前年にデビューしていたオペル カデットをベースに開発された。車名のジェミニも兄弟車が多く存在することから、ふたご座という意味を持つものが採用されている。
プラットフォームこそカデットのものを採用していたが、エンジンはいすゞ内製のものを搭載している。1979年に登場した後期型では経済性に優れるディーゼルエンジン搭載車と、1.8LのDOHCエンジンを搭載したホットモデル「ZZ」をラインアップし、人気を確固たるものとしたのだった。
1985年には2代目となる「FFジェミニ」が登場。このモデルは車名の通り前輪駆動レイアウトを採用し、オペル カデットとの兄弟車関係も解消。その一方でGMとの関係は続いていたため、逆にジェミニをベースとしたモデルがGMからリリースされていた。
このモデルでは1.5Lターボエンジンを搭載し、イルムシャー社が手掛けたサスペンションを持つ「イルムシャー」グレードが知られるところだが、何よりその存在を有名にしたのは、「街の遊撃手」のコピーで知られるテレビCMだろう。
このCMはクラシック音楽などに合わせてパリの街中をジェミニがカーアクションで駆け抜けるもので、当時リアルタイムで見ていた人はもちろん、のちにそのCMを知った人にとっても衝撃的なものだった。
そしてその後を受けて1990年に登場した3代目はボディサイズを拡大し、ボディタイプもセダンとハッチバックのほか、クーペモデルも追加。
先代モデルで好評だった「イルムシャー」や「ZZ」シリーズは継続設定されており、180psを発生するインタークーラーターボエンジンにフルタイム4WDを組み合わせた最強モデル「イルムシャーR」も登場した。
またリヤサスペンションにはナチュラル4WSと称したトーコントロール機構を持った先進的なものを採用していたが、やや未成熟な状態でリリースされてしまったこともあって評判が芳しくなかったのは残念だった。
ピアッツァ
117クーペの後継車種として1981年に登場したピアッツァは、117クーペと同じくジウジアーロ作品であり、コンセプトカーとしてジュネーブショーに出展された「アッソ・デ・フィオーリ」のスタイルをほぼそのまま市販車で再現した意欲作だった。
プラットフォームこそ初代ジェミニのものを使用していたが、「I-TEC」と名付けられたフルマイクロコンピューター・エンジン制御システムを採用。内装もサテライト式コックピットを導入するなど近未来感に溢れたクルマに仕上がっていた。
通常モデルではリヤサスペンションは3リンク/コイルのリジッド式であったが、1988年にロータスのチューニングを受けて登場した「ハンドリング・バイ・ロータス」では、リヤサスペンションが5リンク式にあらためられた。名ばかりでない改良がなされていたのも、特筆すべきポイントだろう。
そんなピアッツァは1991年に2代目へとフルモデルチェンジ。先代と同じくジェミニがベースとなっていたが、この代では3代目ジェミニのクーペモデルの実質的な兄弟車となっている。フロントマスクこそ初代と同じくセミリトラクタブルヘッドライトを採用していたが、初代のスペシャリティカー感は薄れてしまっていた。
そのため販売台数も初代モデルには遠く及ばず、93年の乗用車生産からの撤退も相まってわずか3年ほどしか販売されずにひっそりを姿を消している。