第2弾は24基の固形燃料ロケットで爆進
RAK.1の成功に勇気づけられたオペルは、すぐに次のマシンの製作に取り掛かる。まるで魚雷のような専用ボディの側面に、ダウンフォースを発生させる大きなウイングが目を引くオペルRAK.2がそれだ。RAK.1のテストからわずかひと月後の1928年5月、今度はベルリンのアヴス・サーキットを舞台にテストが行われた。パワーアップされた24基の固形燃料ロケットと専用ボディにより、オペルRAK.2はRAK.1の記録を大幅に上まわる200km/hを記録した。ちなみにテスト・ドライバーを務めたのは、フリッツ・フォン・オペル自身であったという。
そして最速の「ロケット鉄道車両」へ
オペルRAK.1、RAK.2に続いて開発されたのがオペルRAK.3。しかしこのRAK.3はもはや「自動車」ではなく、レールの上を走る鉄道車両へと進化していた。RAK.3はハノーバー近郊の5kmの直線軌道で最高速度250km/h以上を達成。当時の鉄道車両の速度記録を打ち立てた。
ロケットの可能性を模索していた時代の証人
この「RAK計画」は自動車の未来ではなく、ロケット技術の未来を目指したプロジェクトだったことが進化の過程からうかがえる。鉄道車両となったRAK.3と、その後継機RAK.4、そして、クルマと同じオペルRAK.1と名付けられたロケット滑空機の一連の実験をもって、オペルのロケット動力プロジェクトは終焉を迎えた。
1927年に創設されたドイツ宇宙旅行協会の創設者のひとりでもあったマックス・ヴァリエ。彼が夢見た、ロケットによる人類の宇宙旅行。その夢の小さな第一歩となったのが、オペルのロケット自動車「RAK」だったのだ。