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「セレニッシマ」「ザウバーC2」「アバルト」にマニアも歓喜! ヴェルナスカ・シルバーフラッグを走った名車たち

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

フォーミュラはフロント・エンジンからミッド・エンジンに

 続いてはMonoposto(シングルシーター=レーシングフォーミュラ)から気になったモデルを紹介しましょう。まずはSIMCA Deho 1100から。デホは戦前からシムカのチューニングを生業としていました。これはちょうど、FIATに対するアバルトのような関係と言ったらいいでしょうか。SIMCA Deho 1100

 もっともシムカ自体がフランスに進出したFIAT、のようなものでアバルトがチューニングしたアバルト・シムカも有名です。ともかく、こちらのシムカ・デホは、1100ccエンジンを搭載したモノポスト=シングルシーター。SIMCA Deho 1100

 残念ながらクルマに対する細かなデータが見つからないのですが、フレンチブルーをアピールしているところが気になった1台です。SIMCA Deho 1100

 2台目の気になったMonopostoも、シムカ・デホ1100と同様に、戦後派ながらフロントエンジンの1台。当時のイタリアを代表するコンストラクター、と言うかスポーツカーメーカーのチシタリア(Cisitalia)がリリースしていたD-46/48です。チシタリアD-46/48

 チシタリアというと、ポルシェ事務所が設計に関わって1947年に完成したGPカーのTyp360が有名ですが、このD-46/48はFIATでさまざまなモデルは手掛けているダンテ・ジアコーザが設計したモデルです。1948年製となっていますが、そのネーミングからも推測できるように46年に登場しているD46の発展モデルと考えた方がいいでしょう。チシタリアD-46/48

 それはサスペンションなどを見ていっても充分に納得できるものです。そのサスペンションは、前後ともに一種のダブルウィッシュボーンで、横置きのリーフスプリングをアッパーアームと兼用。プリミティブと言えばこの上なくプリミティブですが、それでもポテンシャルは高く、1948年のイタリアF2選手権で優勝しています。エンジンはFIAT 508B用の1.1Lを搭載していました。チシタリアD-46/48

 3台目のMonopostoは、レーシングフォーミュラの歴史を語るうえで、決して見逃すことのできないエポックメイキングな1台、1958年式のクーパーT45です。F1GPの歴史に詳しいファンなら、初めてミッドシップレイアウトを採用したF1マシンと言えば、57年にデビューしたクーパーT43だということはご存じでしょう。クーパーT45

 元々はF2用として開発されたT43は、クライマックス製の2L直4、FPFエンジンを搭載して57年のF1GPにデビュー。翌58年のシーズン開幕戦となったアルゼンチンGPで見事優勝を飾っています。これがF1GPにおけるミッドシップレイアウト車輌による初優勝となりました。

 ただしT43が主戦マシンを務めた期間は長くなく、その58年シーズンには小改良を施したT45が、エースの座を継承していました。今回のヴェルナスカ・シルバーフラッグに登場したのは、この58年シーズン用の主戦マシン、T45です。

 そしてミッドエンジン車の初優勝はT43に譲ったものの、このT45もモーリス・トランティニアンが同年のモナコGPで優勝を飾っています。こんなにエポックメイキングなマシンなのに、ヴェルナスカ・シルバーフラッグのパルクフェルメでは、カルト級なモデルが数多くいて、振り返ってみたらサスペンションなどのディテールを撮り外していたという大失態でした。なので今回は走りが1カットだけですが、その歴史的価値を創造しながら眺めていただければ幸いです。

 そしてMonopostoの4台目は、一気に20年ほどタイムスリップして77年のF2マシン、マーチ772を選んでみました。マーチのレーシングカーは、西暦の下2桁+カテゴリーを示す番号で命名されていて772は77年シーズン用のF2というわけです。マーチ772

 そしてF1からF2、F3と商品をラインアップしていたマーチは、時としてF2をベースにF1マシンを仕立て上げたり、反対にF2を発展させてF3を製作したこともありました。そしてその時代背景を見てみると、苦戦しているカテゴリーに、主任設計技師であるロビン・ハードが注力することで、あるシーズンはF2マシンがライバルを圧倒するシーズンとなり、またあるシーズンはF3がライバルが圧倒するシーズンとなっていました。マーチ772

 78年シーズンのF2は、強豪シャシーが“乱立”したシーズンとなっていて、結果的にマーチ772は苦戦を強いられていました。そのために翌78年にはシャシーを一新し、また79年には完全なベンチュリーカー(グランドエフェクトカートも“ウイングカー”とも)に生まれ変わるなど、目まぐるしく改変が続く切っ掛けとなったモデルでもあります。

 しかし何よりも、明るいオレンジ色のボディにBetaのロゴが生えるカラーリングは、75年にヨーロッパを旅して、シルバーストンで初めて生で見たF1GPで目に焼き付けたワークス・マーチのカラーリングそのまま。このカラーリングだけでも、ぜひ紹介したい1台となったのです。

 ただし、このシーズンにはF1でもF2でも、工具メーカーのBetaは、タイトルスポンサーを外れていましたから、別にマーチのワークスカーというわけではないのですが……。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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