「思いやり」とは違う合理的なイギリスのマナー感覚
一定の公共性あるスペースで、ほとんど自然法として、交通の流れが「ヴァルネラブル順」に仕切られているのは、イギリスのみならず欧州でも北米でも常識だったりする。ヨーロッパの田舎道で、クルマが思い切り自転車と距離を開けて抜き去るのも、考えの根っこは同じ。
非ヴァルネラブルな立場の人ほど率先して公の場では譲るべし、的なノブレス・オブリージュの感覚は、階級社会の産物という側面も確かにある。いずれにせよ、歩道も走れるのだからと電動ママチャリが歩行者に対して幅を利かせたり、電車の中でいい年した男女がスペースを主張する挙句に喧嘩しはじめたり、狭い対面交通でも譲らないコワモテSUVやミニバンだらけで、逆に追越車線では煽られ運転が延々と居座り続けている、それが当たり前の国にいると、とっても分かりづらい感覚かもしれない。
だが、少なくとも文明国では、一時的にせよ他人とのスペース共有を円滑にするための、ごくシンプルな原理であることをお忘れなく。そもそも、他人と必要以上に関わらないための知恵でもあるのだから。