Zよりも長い歴史があるためスカイラインに対する憧れが強い
スカイラインとフェアレディZは、日産自動車を象徴する看板車種だ。
しかし、フェアレディZが、日産の創業期から同社の車種であったのに対し、スカイラインは元々プリンス自動車工業で生まれた4ドアセダンである。
プリンス自動車工業は、第二次世界大戦当時、帝国陸軍の軍用機を製造した立川航空機の出身者によって戦後に設立された。世界的にも航空機産業は時代の最先端であり、技術に凝り、性能が高いことが大きな価値を持った。最初の乗用車は電気自動車(EV)で、当時は東京電気自動車という社名だった。そのEVが、たま電気自動車である。いま、日産がEVの起源として、たま電気自動車を祖とするのは、プリンス自動車工業の前身である東京電気自動車時代の話をしている。
プリンス時代から続くスカイライン
続いて、ガソリンエンジン車の1台目となるのがプリンスだ。しかし、中島飛行機を母体とする富士精密工業とプリンス自動車工業は合併したので、富士精密工業と名乗った時代に誕生したのが初代スカイラインである。社名は、のちにふたたびプリンス自動車工業と名乗ることとなり、スカイラインはそのままプリンスの4ドアセダンとして継承された。さらに後年、プリンス自動車工業と日産自動車が合併し、日産自動車となってからの最初のスカイラインが、3代目のハコスカと称したスカイラインである。そのハコスカの時代に、GT-Rが登場する。
フェアレディは、ダットサンスポーツとして1952年に誕生した。これを継承した2代目が、ダットサン・フェアレディである。初代からオープンカーであるのを特徴としている。馬車から創意を得て誕生した自動車は、元々屋根のないオープンカーだった。初代ダットサンスポーツがオープンカーであったことは、当時とすれば特別なことではない。SPやSRなど型式名で呼ばれることのある2代目フェアレディも、オープンカーであり、幌のほかに後付けのハードトップが用意された。
次いで、フェアレディZが1969年に誕生する。ここから、屋根のあるクーペの姿となった。それまでのフェアレディが直列4気筒エンジンであったのを直列6気筒とし、サスペンションは4輪独立懸架にするなど、格段の高性能化がなされたが、最大の課題は手ごろな価格であることだった。流麗なクーペの姿で、高性能、それでいて身近なスポーツカーの価格を実現したことにより、国内はもとより米国で大人気を博した。
北米ではフェアレディZの愛好家が絶えない
高性能なGTであるスカイラインと、身近なスポーツカーとしてのフェアレディZという趣の異なる高性能車を持つ日産のなかで、どちらかといえばスカイラインが注目されやすいのは、日本人は優れた技術を備えることに価値を見出す傾向が強いからではないだろうか。それに対し米国では、楽しく運転できるなら、技術や銘柄にこだわらないとことがある。したがって米国には、熱烈なフェアレディZ愛好家がいまも絶えない。
クルマに対する価値の与え方の違いは、交通環境も関係しているだろう。広大な大地の米国では、クルマでの移動が航空機と並んで中心であり、技術に凝って高価であるより、実際に運転して楽しめることが重要だ。対して日本は国土が狭く、人口密度が高く、ドイツのアウトバーンのような高速道路もない。したがって、高性能車といえども、頭で考え納得することが重要になってくる。
プリンス自動車工業という航空機メーカーを母体とした企業から生まれていたり、先進技術を織り込んだGT-Rという存在があったりという歴史のなかで、スカイラインに対する憧れが日本ではより強いのではないか。