懐かしのポルシェを前に当時を懐かしむ
午前のテストをしっかり走り切り、ふたりはランチタイムをメカニック、エンジニアたちとリペール氏の私邸(ここも築200年を越すシャトーだ)のホールで過ごした。そこには、伊太利屋カラーにペイントされたポルシェ935K3のモデルカーとフランス人ドライバーの故ボブ・ウォレックの写真が掲げてあった。生前のウォレックと親交のあったリペール氏は、遺族からトロフィーやレーシングスーツなどを遺品として譲り受けているという。
この伊太利屋ポルシェに対する思い出が、寺田と関谷の共通項であった。1981年の鈴鹿1000kmレースも、この日のように暑い一日だった。マツダRX-7 253に寺田と関谷がチームメイトとして乗ったと記録されている。マツダオート東京がエントリーしたもう1台のマツダRX-7 253には、ニコ・ニコルとトニー・トリマーが乗り、1000kmレースの最終周までウォレックとアンリ・ペスカローロが駆る伊太利屋ポルシェと死闘を繰り広げた、日本のレース史に残る名勝負だった。
結果は、最終ラップのヘアピンでレースリーダーのRX-7 253に追いついたポルシェ935K3の逆転優勝であった。しかし、寺田・関谷コンビは早い時間帯にリタイヤの憂き目にあっている。ふたりはこのモデルカーの前に立ち、「いゃー、あの日は暑い一日だったよなぁ」と笑った。40年の歳月を超えて、昭和の戦士達は昔のチームメイトの顔に戻ったようだった。