同門兄弟車のセリカと鎬を削るもラリーでは圧倒的な優位に
ハイパフォーマンスなモデルを登場させると、次なるステップはモータースポーツでそのパフォーマンスを磨くと同時に広くアピールしていくこと。これは古今東西、自動車メーカーが辿ってきた道ですが、トヨタも同様な作戦をとっていて、レビン/トレノもレースやラリーに顔を見せるようになりました。
レースでは日産のブルーバードや、その後継モデルのサニー・エクセレントもそうでしたが、何よりも同門兄弟車で1年3カ月早くデビューしていたセリカ1600GTが最大のライバルとなりました。トヨタのワークスチームは両車を並行して開発していきましたが、リヤサスペンションがリーフリジッドのレビン/トレノに対して、セリカは同じリジッドながらコイルスプリングで吊ったラテラルロッド付きの4リンク式。ホイールベースも90mm長く、シャシー性能、とくにコーナリングスピードでは明らかにセリカに分がありましたが、動力性能に関しては市販モデルで90kg近く軽量なレビン/トレノが勝っていました。
だからコーナリングで稼ぐセリカにコーナー立ち上がりで優位に立つレビン/トレノという戦いが繰り広げられたのですが、やがてワークス・セリカは18R-G型エンジンを搭載した2000GTがラインアップされると2000ccクラスに移行。またサニー・エクセレントも出場しなくなったために、結果的に1600ccクラスはレビン/トレノの独壇場となりました。
もっとも、ツーリングカーレースの檜舞台となったのは富士グランチャンピオン(GC)レースのサポートイベントとして開催されていた1300cc以下のマシンによるマイナーツーリング(MT)レースで、そちらはほぼサニーのワンメイクとなっていました。1600ccのレビン/トレノはスカイラインGT-Rとロータリー軍団が激しいデッドヒートを繰り広げる後方で、1600ccクラスのトップを快走するくらいで、活躍して注目を浴びる場は耐久レースくらいしか残されてない状況となってしまいました。ですが、実際に72年に行われた富士1000kmではフェアレディ240ZやスカイラインGT-Rに先んじて舘 信秀/鑓田 実/見崎清志組が総合優勝を飾っています。
一方、ラリーでもレビン/トレノの活躍には目覚ましいものがありました。当時はまだエンジンも含めてチューニングが許されていて、カムなどレース用のパーツも使ってチューニングされたエンジンは、最高出力が130psとも、それ以上とも伝えられていて、後に全日本ラリー選手権のシリーズ戦となるような国内トップイベントでもカローラ・レビンとスプリンター・トレノで参加車両の大半を占めるケースも少なくありませんでした。
ラリーに関しては海外でもカローラ・レビンがWRCで活躍し、1975年の1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)ではハンヌ・ミッコラがトヨタワークスに初のWRC優勝をもたらしています。ただツインカム・エンジンとは言うものの、1.6Lではやがてライバルに比べてアンダーパワーとなってしまい、現場からはセリカのエンジン(2Lの18R-G)をカローラに搭載したマシンが欲しい、と要求されたこともあるようです。
ちなみに、スポーツオプションとして8バルブのまま吸排気ポートを拡大した100Eやツインプラグを採用した126E、気筒当たり4バルブ化された151Eなどのスペシャルヘッドも用意されていてレースやWRCシリーズのラリーなどに投入されていました。