普通は廃棄されるコンセプトカーがなぜか工場の片隅に眠っていた
記念すべき「マツダ100周年」記念日である2020年1月30日を目前にした2019年11月、マツダイタリアの広報担当者からマツダ商品本部ロードスターアンバサダーである山本修弘の元に、一通の問い合わせメールが届いた。
それは、「マツダ初のEVモデルを含むMX-30の欧州導入を控え、1981年の第24回東京モーターショーに出展されたMX-81ショーカーとの関連を探りたい」という内容であった。山本が社内各所に問い合わせたところ、広島のマツダ本社工場から猿猴川を挟んだ対岸にある渕崎工場の片隅に、同車がひっそりと眠っていることを突き止めた。通常のコンセプトモデルやショーカーは役割を果たした後は解体されるか、廃棄物品置き場で朽ちるのを待つことになるが、なぜかこのモデルはほぼ原型をとどめたまま、保管されていたのだ。
1981年の東京モーターショーで異彩を放った
「マツダMX-81」コンセプトカーは、初めてMXのネーミングが付けられたモデルだ。RXがロータリーエンジン搭載スポーツカーであるのに対し、MXネーミングは未来志向の実験モデルという位置づけである。しかも、イタリアのデザイン工房であるベルトーネがデザイン制作したモデルであり、当時ミラノのドゥオーモ(ミラノ大聖堂)前で撮影したパブリシティ写真が残されている。
もちろんこのモデルの大きな特徴は、エクステリアである。直線的でグラスエリアが大きく、リトラクタブルヘッドライトを装備した先進的なデザインの車体はゴールドに塗装され、1981年の東京モーターショーではダントツに異彩を放っていた。
さらにこのスタイリッシュなボディワークのCd値は、当時驚異的と言われた0.29を達成している。インテリアは、イタリアのデザインらしく洗練された色使いや本革表皮に彩られているだけでなく、キャタピラー型インパネ一体式ステアリング、ブラウン管CRTを備えたマルチファンクションカラーモニターやレーダーによる後方衝突防止システムを備え、まさに「未来志向」であった。
ベースとなるプラットホームは、当時国内外で大ヒットしたBD型ファミリア・ハッチバック欧州仕様車であり、サスペンションやFFレイアウトはBD1051そのものである。パワーユニットは、オリジナルのE型1.5Lエンジンをインタークーラー付きターボ過給チューニングすることで、132ps/5500rpmを発生するという。
ベルトーネがデザインした先進的フォルム
山本が同車について調べていくうちに、マツダとベルトーネとの関係が次第に明らかになっていく。始まりは、のちにイタルデザインを創設し、日本とベルトーネの架け橋となる宮川秀之氏(85歳)の存在であった。
オートバイで世界一周の旅をしていた宮川氏が1960年にイタリア・トリノでひとりのイタリア人女性と出会う。日本びいきであったその人は、のちに宮川氏の妻となるマリーザさんだ。広島を選んで日本に留学したマリーザさんを訪ねた宮川氏は、人づてに時の東洋工業社長である松田恒次と面談し、自動車のデザインについての重要性を訴えたという。宮川氏が24歳の時の話だ。その後、恒次社長はベルトーネとの協業を決断、1963年の東京モーターショーに初代ルーチェセダンを出展し、1966年には商品化に漕ぎ着けている。その流れの中で、このMX-81も企画されることになったわけだ。