先進技術が採用されていたモデルだった
火の玉ボーイ。スバル・ジャスティを取り上げるにあたって、編集部から冒頭のキャッチコピーをフックに……との依頼を受けた。が、じつは筆者はこのキャッチコピーを見た覚えも聞いたこともなく、ましてあのジャスティにこんなコピーを合わせていたのはいったい何事か!? 何かの間違いだったのじゃないか!? “火の玉ロック”なら知っているが……と思った。
さっそく調べたところ、どうやら1985年10月に新設計の3気筒3バルブの1.2Lエンジンを搭載した際のCMで“火の玉……”は使われていたようだ。なるほど、非常に個人的な話だが、この時期の筆者は駆け出しの編集者で、毎晩、帰宅は終電近く、ひたすら自宅と会社をJRと小田急線を乗り継ぎ、カセットウォークマンで音楽を聴きながら往復していたような暮らしぶりだったころ。従ってTVなどほとんど観ず(せめて移動中に観れるかもとSONYのポータブルTVを買ったものの、ほとんど使わなかった)、なので件のコピーも目に品かったのだろう。
レックスをベースにしていたジャスティ
だが、初代スバル・ジャスティそのものは、仕事の上でもちろん知っていた。もともとジャスティは1983年の東京モーターショーで“スバルJ10”として姿を現し、翌1984年2月に“ジャスティ”として正式に誕生・発売されたクルマだった。当時は日本のメーカー各社からシャレード(ダイハツ)、マーチ(日産)、カルタス(スズキ)などリッターカーが相次いで登場、そのカテゴリーにスバルが投入したモデルということになる。
ちなみにジャスティは、ザックリと解説すると当時のスバルの軽自動車のレックスをベースにしており、ドアパネルなどは共通、ボディ全幅は当然ながら拡幅され、ホイールベースもさすがにレックスの2255mmに対し30mm長い2285mmとしていた。
どちらにしてもデザインは非常にクリーンなもので、その中で4WDモデルでは“スポーティルーフ”と呼ぶハイルーフスタイルを採用。このルーフは、標準ルーフ車に対し全高と室内高について、カタログ数値で30mmの余裕を確保していた。