リヤエンジン・フロント駆動・リヤ操舵のユニークすぎる3輪車
環境汚染や地球温暖化という言葉が生まれるよりずっと昔、人々が「科学や技術の進歩は、全人類の幸福に資する」と素直に信じ、多くの科学者や技術者たちがこぞって前衛的な研究や実験に取り組んだ1920~1930年代。アメリカの発明家、リチャード・バックミンスター・フラーが考案した「ダイマクション・カー」も、まさにそんな時代に生まれた独創的なクルマだ。今回はビザール製の1/43ミニカー(絶版)を肴に、そんなダイマクション・カーの逸話をひとくさり。
「宇宙船地球号」の提唱者が生み出した未来の乗り物
リチャード・バックミンスター・フラーといっても、クルマ趣味の世界ではあまり馴染みのない名前であろう。彼は1895年にアメリカはマサチューセッツに生まれ、長じては「人類生存の持続可能」、現在で言うところのサスティナビリティを生涯のテーマに活動した発明家だ。SDGsが話題になる昨今、ちまたで頻繁に耳にする「宇宙船地球号」という言葉も、じつは彼が1960年代に提唱したものである。
また、前衛的な建築物やプロダクトとその概念を多数発表。われわれにも身近なところでは、そのコンセプトが後に「ユニットバス」として発展・普及する「ダイマクション・バスユニット」の特許を出願したことでも知られる。
空力に優れる11人乗りで最高速度は190km/h!
リチャード・バックミンスター・フラーの肩書きは発明家だけにとどまらず、建築家、思想家、デザイナー、構造家、詩人……と、その活動の場は多岐にわたったが、ここでご紹介するのは1933年に彼が考案し、実際に3台が作られたコンセプトカー「ダイマクション・カー」である。ちなみに「ダイマクション」とは、フラーの考える「より良い生活のための発明品」に付けられた自身のブランド名で、このほかにもダイマクション・ハウス、ダイマクション・マップなど、いくつものプロダクトが存在した。
日系彫刻家イサム・ノグチがデザインに参画
フラーの考案したダイマクション・カーは、フロント2輪、リヤ1輪の3輪車。車体後部にフォード製のV8エンジンを搭載し、フロントの2輪を駆動するという「リヤエンジン・フロントドライブ車」だ。操舵は駆動を受け持たない後輪1輪で行う。全長約6.1mの大きなボディは空力を意識した流線型で、乗車定員は11人。燃費12.8km/Lで、公称最高速度は190km/hと発表された。
また、日本のわれわれにとっても興味深いのは、ロサンゼルス生まれの日系アメリカ人彫刻家、イサム・ノグチがボディ・デザインを検討する段階から、このプロジェクトに参画していたこと。戦前から戦後にかけて、アメリカと日本を行き来しつつ世界的に活躍していたアーティストが、同時代の発明家とともに「未来の自動車」のプロジェクトに参加していたとは、なかなか素敵な逸話ではなかろうか。
シカゴ万博に出展するも不幸な事故で幻に終わる
燃費の向上にも有利な空力特性に優れたボディで、多くの乗員をより早く遠くまで移動させる。ステアする後輪を最大に切れば、自身の全長と同じスペースで旋回できる小回りの良さ。発明家リチャード・バックミンスター・フラーが考案し、日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチもボディ・デザインに関わった未来の自動車「ダイマクション・カー」。
その1号車は1933年のシカゴ万国博覧会に出品され大きな話題となったが、あろうことか会期中のデモ走行の際に追突事故に巻き込まれ焼失してしまう。また、保守的な銀行家たちはその前衛的なコンセプトを理解しようとせず、量産化の計画も頓挫。ダイマクション・カー・プロジェクトは3台の試作車を作った時点で潰えたのだった。
ダイマクション・カー・プロジェクトこそ実現しなかったものの、リチャード・バックミンスター・フラーもイサム・ノグチも、その後それぞれの分野で長きにわたって活躍を続けることとなったのだが、それはまた別の物語である。