アメリカの「国民食」ならぬ「国民車」!?
大型トラックの荷台に商品名やイベント名を大きくあしらい、スピーカーで商品解説や音楽を流しつつ衆目を集める広告宣伝車、いわゆる「宣伝カー」。大都市の目抜き通りなどで頻繁に見かけるが、それらはいずれも荷台の意匠を差し替えるだけのもので、ベース車両のキャビンまで改装しオリジナル・ボディを仕立て上げることは最近では稀だ。だが、世界の「宣伝カー」のなかには、長い歴史を誇るとても有名なモデルも存在するのだ。
シカゴ発祥の食肉加工品メーカー「オスカー・マイヤー」
アメリカ人にとってのホットドッグといえば、日本人にとってのおにぎりのような、大変ポピュラーな存在であろう。そんなホットドッグの形をそのままクルマにしてしまったのが、この「ウィンナーモービル」である。
ドイツ生まれのオスカー・F・マイヤーが、弟のゴットフリートとともに1883年にシカゴで創業したソーセージ専門店をルーツに持つ「オスカー・マイヤー」。ドイツ系移民を中心に評判を高めていった同社は、シカゴ全域で配達サービスを開始し、また、さまざまなイベントのスポンサーとなったりするなど斬新な営業サービスや宣伝活動によって、やがて全米で広く知られる食肉加工メーカーへと発展していった。
1936年に初代「ウィンナーモービル」が登場
そんな「オスカー・マイヤー」のブランドを、全米に広く知らしめる大きな役割を果たしたのが、1936年に初代がデビューした「ウィンナーモービル」だ。量産市販車のシャシーの上に独自のボディを架装してオリジナルの宣伝カーを作るというアイデアは、この時代にはすでにさまざまな企業や商店が実際に採用していた。
ちなみにわが国でも1909年(明治42年)、キリンビールの宣伝用に明治屋が仕立てた、ビール瓶を模したボディが架装された「ナンバーワン自動車」などがよく知られている。ただ、オスカー・マイヤーの宣伝カーの運用がほかと大きく異なったのは、ウィンナーモービルそのものを、自社を象徴するキャラクターとして連綿と走らせ続けたことだろう。
全米を巡業し続けるウィンナーモービルは子どもたちの人気者
1936年にデビューした初代以来、それを「話題作りのための一発屋」として終わらせることなく、今もなお走り続けるウィンナーモービルは、子どもたちを中心に高い人気を誇る。ダッジやウィリス、シボレーにいすゞ(!)など、そのベースとなるシャシーは時代とともにさまざまなメーカーのものを用いつつ、全米を巡業し続けるウィンナーモービル。そのドライバーは「ホットドッガーズ」と呼ばれる人気の職業で、訪れた街では子どもたちにウィンナーホイッスルと呼ばれるおもちゃの笛を配布したりするという。
最新のウィンナーモービルは11代目ともいわれ、現在も複数台が全米各地を巡業している。また、同社が1973年から放映したテレビ・コマーシャルは、アメリカでもっとも長い期間放映されたといわれるが、ここからもひとつのことを長く継続する同社の社風がうかがえる。
じつは日本にもプリマハムが1台入れていた
そんな子どもたちの人気者でもあるウィンナーモービルは、アメリカではさまざまなおもちゃにもなっている。ウィンナーホイッスルに貯金箱、ミニカーにぬいぐるみまで、多種多様だ。
トラックの荷台にモニターを搭載しただけの昨今の宣伝カーは確かに効率的ではあるが、無味乾燥。ウィンナーモービルが90年近くにわたって積み上げてきた歴史とは比ぶべくもないのである。
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最後に蛇足ながら、このウィンナーモービルは日本にも1台存在する。プリマハムが1988年型のウィンナーモービルをオスカー・マイヤーから入手して、自社の全国販促キャラバン用に使用した後、現在は同社の三重工場に静態保存されている。