曲面で抑揚をつけたスタイリングが特徴的だった
ヨーロッパの名門、アルファロメオにはかつてDisco Volante(空飛ぶ円盤)と呼ばれたレーシングスポーツがありましたが、国産モデルでも“円盤”という愛称で親しまれたモデルが存在します。それが1975年に登場した2代目シルビアでした。今回はUFOみたいなデザインで話題を呼んだ2代目シルビアを振り返ります。
ロータリーエンジンを搭載するはずが紆余曲折あり……
今回の主人公は2代目シルビアですが、2代目ということは当然、バトンを渡した初代モデルもあります。もっとも初代モデルは1965年の4月に発売され、およそ3年後の1968年6月に生産を終了していましたから、初代モデルから2代目モデルには直接バトンが手渡されたわけではありません。
それでもシルビアと言う名跡を繋いだのは事実なので、2代目シルビアを紹介する前に少し初代シルビアについても紹介しておきましょう。初代シルビアは、オープン2シーターのスポーツカー、フェアレディ1600のシャシーに直線的なラインでまとめられたスタイリッシュな2ドアクーペ・ボディを架装していました。
日産の社内デザイナーが手掛けたスタイリングとともに、日産車として初めてフロントにディスクブレーキを装着するなど、メカニズム的にも充分なものでした。残念ながらわずか554台が生産されただけで、短いモデルライフを終えてしまいました。
その最大の理由は価格設定が高すぎたこと、と分析されています。初代シルビアの販売価格は120万円でした。初代シルビアの1カ月後に発売されたブルーバード1600SSS(スーパー・スポーツ・セダン=2代目の410系で、2ドアのトップモデル)の販売価格が72万円だったことを考えれば、その高価格ぶりは容易に理解できるでしょう。
ということで初代モデルが短いモデルライフを終えたあと、その名跡を継ぐモデルは現れませんでしたが、70年代に入りメカニズムに関して新たな展開が起こりました。それはドイツ(当時は西ドイツ)のNSUとヴァンケル両社が共同で開発したロータリー・エンジンに関するもので、マツダが先陣を切る格好でしたが国内の自動車メーカー各社もこれに続き、日産もNSU-ヴァンケルから基本特許を導入して精力的に開発を進めていきました。
そして1972年の初頭には当時の川又克二社長が「サニークラスのモデルに搭載して来年秋に発売する」と発表。事実同年10月の東京モーターショーにはサニー・エクセレントにロータリー・エンジンを搭載した試作モデルを参考出品していました。
じつはこのロータリーエンジン搭載車として白羽の矢が立ったのが2代目シルビアで、サニー・エクセレントのフロアパンに2ドアクーペボディを架装し、ロータリーエンジンを搭載してテストが進められた、とも伝えられています。
しかし1973年の第4次中東戦争を機に第1次オイルショックが始まり、世の中の流れが省エネルギー志向に切り替わって、燃費が良くないとされていたロータリーエンジンには逆風が吹きまくり、シルビア・ロータリーの市販化は実現されないままに終わっています。そしてエンジンを、ブルーバードUから転用したL18に置き換えて1975年にデビューしたのが2代目シルビアです。