ボディ全体でダウンフォースを生み出すという思想
「ウェッジシェイプ(くさび型)のクルマ」という言葉を聞いたり見たりしたときに、皆さんはどのモデルを真っ先にイメージするだろう? スーパーカーブームを経験した世代のクルマ好きは、童夢-零、ランボルギーニ・カウンタック、ランチア・ストラトスあたりを真っ先に思い浮かべ、もっと若い世代の自動車趣味人はスバル・アルシオーネやホンダNSXあたりをイメージすると思う。
アルファロメオ・カラボ
1971年生まれの筆者はスーパーカーブームに思い切りインスパイアされた世代なので、自動車デザインのマイルストーンになったといわれるアルファロメオ・カラボ(全高が990mm)の極端なウェッジシェイプぶりにときめいてしまうが、このクルマは市販車ではなくコンセプトカーであった。そのため、非常に大胆なデザインを採用することが可能だったのだ。
カラボをデザインしたのは「カロッツェリア・ベルトーネ」で、当時、同カロッツェリアにてチーフスタイリストを務めていたマルチェロ・ガンディーニが担当した。1960年代後半になってから、F1マシンなどがダウンフォースを得るためにウイングを付け始めたが、それを横目で見ていた鬼才ガンディーニはボディ全体がダウンフォースを生み出すようにすればいいのでは? と着想。その結果としてデザインしたのがウェッジシェイプであった。このカラボが、後にカウンタックをデザインする際の出発点になったといわれている。
ランボルギーニ・カウンタック
ガンディーニがデザインしたカウンタックは、ランボルギーニの歴史を語る際に忘れることができないモデルである。ミウラの後継車として開発され、1971年3月に開催されたジュネーブ・モーターショーにおいてプロトタイプのカウンタックLP500として初公開された。
オーバーヒート対策としてエアインテーク、エアアウトレット、NACAダクトなどを設け、冷却効果を高めた緑色のプロトタイプを1973年のジュネーブ・モーターショーで展示。翌年の同ショーにおいてLP400の最終プロトタイプを公開し、晴れて市販型のデリバリーが開始された。
ウェッジシェイプという概念をそのまま具現化したかのような斬新なプロポーションや、上方に開くスイングアップドアといったセンセーショナルなディテールを採用していたカウンタックLP400が、日本においてキング・オブ・スーパーカーとなったことは周知の事実だ。
ランボルギーニ・ブラボー&フェラーリ308GTレインボー
ガンディーニが在籍していたカロッツェリア・ベルトーネは、その後も秀作を多数発表しており、コンセプトカーのランボルギーニ・ブラボーとフェラーリ・レインボーがそれに該当する。前者はウラッコがベースで、1974年のトリノ・ショーで発表された。ホイールアーチやリヤクォーターのデザイン処理は、ベルトーネ作品における傑作のひとつであるカウンタックに通じるものがある。リヤエンジン上のルーバーは24個あり、冷却効果を高めていた。ブラボー用マグネシウムホイールは新しくデザインされたもので、後にカウンタックLP400Sにも採用されている。
一方のレインボーは、直線基調のシャープなラインが特徴で、1976年のトリノ・ショーでデビューした。フェラーリ308GTレインボーとも呼ばれ、その名の通り、ベルトーネがデザインしたフェラーリ308GT4がベースだった。レインボーとは「晴れでも雨でも」の意味で、晴れの日には金属製のルーフをシートの背後に立てて収納することができた。車体前部に配された硬質ゴムが衝撃を吸収するようになっており、これがバンパーの役割を果たしている。
ランチア・ストラトス
ロードカー部門では、モータースポーツ・フィールドで大活躍したランチア・ストラトスが、カロッツェリア・ベルトーネによる秀作のひとつだといえる。1973年に登場したストラトスは世界ラリー選手権(WRC)で勝利することを目的として開発されたスーパーカーで、ウェッジシェイプでサーキット専用車のような快速ミッドシップマシンがラリーフィールドで大いに活躍した。
ストラトスの前身となったのはストラトス・ゼロと呼ばれるコンセプトカーで、1970年のトリノ・ショーで発表された。これもガンディーニが斬新なウェッジシェイプを描いたもので、カラボのみならず、ストラトス・ゼロのディテールもカウンタックに引き継がれたといわれている。
マセラティ・カムシン
マニアックなところでは、ギブリの後継モデルとして1973年にデビューしたマセラティ・カムシンもベルトーネ在籍時代のガンディーニがエクステリアデザインを担当した。ギブリ同様、カムシンもフロントエンジン仕様の豪華なGTカーで、当時関係が深かったシトロエンの影響を強く受けており、パワーステアリング、リトラクタブルヘッドライト、ブレーキ、クラッチなどがシトロエンによる高圧の油圧システムだった。
ロータス・エスプリ
ガンディーニの作品ばかりを紹介してしまったが、ガンディーニの前任としてベルトーネのチーフスタイリストを務めていたジョルジェット・ジウジアーロの作品も忘れてはならない。彼が描いたウェッジシェイプもたくさんあるが、やはり、ロータス・エスプリが一番分かりやすい代表作であろう。
エスプリは、ロータス・ヨーロッパの後継車として1975年10月のパリ・サロンでデビュー。スチール製バックボーンフレームにFRPボディを載せるという基本構造をヨーロッパから継承し、エクステリアデザインをジウジアーロが率いるイタルデザインが担当した。直線基調のウェッジシェイプは、1972年にイタルデザインが発表したコンセプトモデルがベースとなっている。
デ・トマソ・グアラ
ベルトーネと同じようにイタルデザインも有能なデザイナーを輩出したが、1980~1987年までイタルデザインに在籍していたカルロ・ガイノがウェッジシェイプのデ・トマソ・グアラを描いている。グアラはパンテーラの後継モデルで、1993年にクーペ、その翌年にバルケッタ仕様とスパイダー仕様が発表された。
当初BMW製のV8エンジンを積んでいたが、1998年からパンテーラと同じようにフォード製V8(こちらはスーパーチャージャー付き)を積むようになった。最高速度は260km/h以上を誇っていた。
童夢-零
最後にウェッジシェイプを採用した国産車を紹介しよう。まずは、童夢-零だ。スーパーカーブームが下火になりつつあった1978年に、レーシングカーコンストラクターとして名を馳せた童夢が世に送り出した和製スーパーカーで、ガルウイングタイプのドアを採用。全高はカウンタックLP400よりも90mmほど低かった。
日本国内での型式認定取得を前提に法規に合わせて製作したが、許可を受けるどころか申請さえも受け付けてもらえず、実車の販売は見送られた。しかし、プラモデルやミニカーなどが順次リリースされたこともあり、その人気がヒートアップし、現在もスーパーカーブームを代表する1台としてクルマ好きの記憶に残っている。
ホンダNSX(初代)
和製スーパーカーといえば、ホンダNSXも有名だ。量産車として世界初となるオールアルミ製モノコックボディを採用した本格的ミッドシップスポーツカーとして1990年に発売。ホンダがF1グランプリをはじめとするモータースポーツフィールドで培った技術が余すところなく投入されていた。
排気量のアップ、6速MTの採用、空力性能の向上、タイヤサイズの変更など、つねに運動性能を向上させつつ、オープントップモデルのNSXタイプTや、運動性能をより際立たせたピュアスポーツモデルのNSXタイプRを設定するなど、時代の要求に合わせて進化。本格的スポーツカーとしていち早く排出ガスのクリーン化に対応するなど、運動性能と両立させた高い環境性能も実現している。その結果、先達であるフェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェにも多大なる影響を与えた。
スバル・アルシオーネ
スバル・アルシオーネは、上記で紹介したスーパーカーの仲間ではないが、見事なウェッジシェイプを採用していたので本稿のアンカーを飾ってもらうことにしよう。
スバルがリトラクタブル・ヘッドライトを採用した唯一のモデルであるアルシオーネは、1985年にリリースされた2ドアクーペだ。カタログに「エアクラフトテクノロジーの血統」というキャッチコピーや「Cd値=0.29」という空気抵抗係数が躍っていたことからも分かるように、ウェッジシェイプであることをセールスポイントにした意欲作だった。
残念ながら肝心のウェッジシェイプが受け入れられず、発売当初から深刻な売上不振に陥り、1991年にジウジアーロがデザインした後継モデルのアルシオーネSVXへとバトンタッチしてしまったが、徹底的に空力性能にこだわったアルシオーネの功績は、素直にたたえるべきものだといえるだろう。
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クルマが高性能化し、ユーザーからスピード感あふれるデザインが求められたことで一時は興隆したウェッジシェイプ・デザインだが、次第に衝突安全性などでフロントノーズを薄くするのが難しくなり、リトラクタブル・ヘッドライトとともにウェッジシェイプも廃れていった。
さらに、ここ最近はSDGsが喫緊の課題となっており、クルマでパワーとスピードを追い求める状況ではないため、自動車メーカーがウェッジシェイプで訴求するのは一段と難しくなっている。とはいえ、EVにおいても「電費」の観点からは空力性能も重要な要素のひとつ。スバルあたりがEV版「ニューアルシオーネ」でウェッジシェイプを復活させてくれたら面白いと思うのだった。