チューニングの進歩は第2世代GT-Rと共に
平成6(1994)年、「チューニング」に革命を起こしたR32スカイラインGT-Rが生産終了になった。ここから「チューニング」はさらに加速度を増していったように思う。GT-Rの深化とチューニングの進化は密接な関係なのである。現在に至るまでの25年以上の間にGT-Rチューニングはどのように変化したのか。あらためて思い返してみるとさまざまなトレンドがあった。時代とともに移り変わり進化していった調律の移ろいを『Kansaiサービス』の向井敏之代表と共に振り返る。
(初出:GT-R Magazine150号)
R32はチューニングを一気に進化させる存在だった
平成6(1994)年に生産終了したBNR32の功績は途方もなく大きく、それまでのチューニングのレベルを飛躍的に向上させた。『Kansaiサービス』の向井敏之代表も例外ではなくR32GT-Rに魅せられた一人だ。データ取り用と実践用の2台のデモカーを駆使して夢中で開発に勤しんだ。
それまでもRB20DETのチューニングは積極的に行っていたが、新開発のRB26DETTは、もはや別物。今までのフルチューンレベルをいとも簡単に上回ってしまった。手を入れれば予想以上の効果を発揮できてしまう。R32GT-Rの最終モデルが出るころにはツイン、シングル、シーケンシャルとあらゆるターボの仕様を試みて、普段使いにも耐えられるクオリティを実現させている。
翌1995年にはR33GT-Rがデビューした。エンジンに関してR32との違いを徹底的に確認するのが最初の仕事だ。プラグはもちろんインテークのレイアウトなど抜かりなくチェックしていく。今でこそ当たり前になっているエンジンのエキゾーストポートからタービンブレードまでの一次排圧とタービンブレード以降の二次排圧は、当時からその重要性に気付いていて、見逃さずに計測していた。
こうした繊細なデータがブーストアップといったライトチューンはもちろん、ハードなチューニングを行った場合に必ず役に立つ。データは決して嘘をつかない。それをどう生かすかが、チューナーの腕の見せどころとなってくるのだ。
GT-R史上、最も過激にパワーを求めたR33時代
ホイールベースが延びて、ボディが長く葉巻型のような造形になったR33GT-R。走行安定性も空力もR32に比べて向上した。これはチューニングに有利に働く。R33がデビューした1995年頃は、GT-Rで300km/hを出すのはもはや当たり前だった。各チューナーはR32で十分なノウハウを得ていたからだ。こうした背景もあって、最高速よりもゼロヨンあるいは300km/hまでの到達時間を競うカテゴリーにシフトしていった。
同時にセットアップの機材も進化。R32の時代は空燃比計が威力を発揮していたが、R33の時代ではデータロガーを活用するようになった。これでアクセル開度やインジェクターの噴射時間など細かいデータまで取れるようになり、チューニングがより深みを増していった。
そのころに向井代表は、加速力の向上を図るアイテムとしてアクティブE-TSコントローラーを登場させた。リヤが滑ったときに移行するフロントへの駆動力の量が調整でき、FRにもできる。パワーの追求と同時に、それを無駄なく路面に伝えることも考えていた。
さらにフロントデフのLSDにも注目して、積極的に取り入れていた。リヤデフのLSDばかりでなくフロント側にも導入することで独特な走行フィーリングが味わえる。効かせ具合いがポイントだ。向井代表がデモカーのR33をベースにした最初のエンジンチューニングはGT2540Rのツインターボ仕様。650psをマークした。その後、エキゾースト側のハウジングだけ大きくするとともにインジェクターを680ccから890ccに換えて700ps超を叩き出した。ブースト圧は同じ1.6kg/cm2だから、ハウジングのサイズアップ効果がよくわかる。
ビッグシングルで750psオーバーでも満足せず
下から使いやすいツインターボではあるが、弱点も存在する。二つのターボによる吸気干渉、それとハーフスロットルでのサージングだ。そこで1996年にはT51Sを使ったビッグシングル化を行った。インジェクターはそのままながら、燃料ポンプをツインにして対応し、ブースト圧1.8kg/cm2で約760psを発生した。R32時代に行ったビッグシングルはTO4S仕様でパワーは650ps。100ps以上もパワフルになっているが、シングルならではのシンプルな取り回しからくるセッティングのしやすさは変わらない。
さらにパワーを追求するためにはシングルターボでは無理なので、大きめのターボを2基使ったツインターボ化を決行。風量が大きいからブーストの制御はアクチュエータでなくウエストゲートを使った。選んだターボはGT3037Sだった。パワーは841.2ps。トルクはなんと82kg–m。燃焼室の形状や圧縮比、さらにはバルタイなどに拘わり、街中でも使える特性に仕立てている。ちなみに、ビッグターボでのツイン化はR32ではやっていない初の試みだった。1997年のことだ。
800ps超は想像以上にエンジン本体を痛めつける。当時は材質の問題もあり、ヘッドガスケットがよく抜けた。それを見越してストリートではパワーは抑え気味に。さらにヘッドボルトを伸びにくいスタッドボルトに換える対応もしていた。