ハイパワーから乗りやすさ重視へ円熟したR34時代
R34GT-Rが発表された1999年頃は、R33で行われていた熾烈なパワー戦争もひと段落。ユーザーはより上質なフィーリングを求めるようになる。
R34の純正ターボをバラしてみるとR32、R33のものと比較して、コンプレッサー側の羽根の数は同じながら、3~4mm小さくしてピックアップを向上している。エキゾースト側はサイズは同じでも枚数を11枚から9枚に減らして排気の抜けをよくしたハイフロー化を行った。材質は以前と同様にセラミックだが、枚数が減っているので壊れにくい。懸念したコンプレッサーの容量不足は感じずに、レスポンスのよさが際立つ扱いやすいターボだ。
これに1.2kg/cm2掛けると430psがマークできる。それ以上を求めるにはニスモタービンを流用するのが主流だったが、低速域のレスポンスが今一つ。そこで向井代表は純正とニスモのいいとこ取りをしたリニアチャージターボを、1年間の開発期間を経て2000年に発売している。その後に登場するHKS GT-SSタービンの前身モデルだ。
2000年には『HKS』のフルコンピュータ「F-CON V プロ」もデビューした。それまではエアフロの容量を鑑みながらパワーを追い求めていた。しかしエアフロセンサーがターボの吹き返しの影響も受けてしまい、吸気抵抗にもなる。エアフロレスが行えるVプロならばこうした心配がなくなる。結果としてセッティングの幅を広げてくれると評判になった。
トリプルシンクロになったゲトラグの6速MTもR34の魅力の一つ。レスポンス重視のエンジンチューンとの組み合わせでサーキットを楽しむユーザーが増えていった。そんな中、とくにR34の前期モデルにおいて、エンジンメタルの焼き付きが目立った。それ以降のモデルではあまりないので、対策されたのだろう。
排気量アップや可変バルタイがメジャーな存在に
KansaiサービスのデモカーR34は2001年にリニアチャージターボからTO4Rのシングルターボ仕様に変更している。当時、じわじわと広まっていたHKSの2.8Lキットと組み合わせて、とても扱いやすい600ps仕様を完成させた。その2年後にはHKSからインテークのバルブタイミングが可変できるVカムもデビューを果たした。これらの登場によって、RB26DETTはますます柔軟な味付けがしやすくなっていった。
また向井代表を含め、チューニング業界はR34の登場以降もR32用のパーツ開発を継続していた。KansaiサービスではR34のフラットなフロア下面に影響を受けて、フロントまわりのフラット化パーツを生み出した。えぐりを入れて通過する空気の流速を速めて、より大きなダウンフォースを稼いでいる。
さらにボディの剛性アップアイテムも充実させた。リヤシートを生かせるロールケージは効果がある上に便利だ。シャシーの強度を上げるパーツなどは、今では当たり前となっているが、当時はまだ斬新だった。
Kansaiサービスではひと工夫したVプロの使い方も行っていた。一般的にはエアフロレスで使うのだが、あえてエアフロを生かしたセッティングだ。LジェトロのLを取って「Lプロ」と名付けられたこの手法は、アクセルハーフ付近での安定感が抜群。吸入空気量を予測するDジェトロよりも、実際の空気量を測定するLジェトロはセッティングの時間も短縮できる。ブーストアップ程度のセッティングなら約2時間で終了する。専用の圧力センサーがいらないので、セッティング時間も短縮される。それにより、必然的に費用が安く抑えられる。さらに発展性もあるので無駄がないのだ。
2002年にR34の生産が終わっても、RB26DETTのチューニングは一向に衰えなかった。すでにR32はデビューから10年を軽く超えていた。R32に限らずオーバーホールの必要性が出てくる車体も多くなり、エンジンを開けると同時に排気量アップを行うケースが増えていった。さらにVカムも導入して、下からトルクフルな特性に人気が集まった。
ノーマルでも怖いくらいの速さを誇るR35の可能性
そうこうしているうちに、R35がデビューした。2007年の12月のことである。すべてが新しくなったクルマということで、向井代表はR32のときのようにデータ取り用と実践用の2台を購入。Kansaiサービスらしく、ノーマル状態でのデータを徹底的に取っていった。
馬力はカタログ表示で480ps。シャシーダイナモによる実測では、すでに490psをマークした。しかも測定中にスピードリミッターが作動してしまい、本来のノーマル馬力は測定できない。進化したノーマルコンピュータは、簡単にはデータを変更できなかった。HKSではいち早くリミッターが解除できるVACを発売。ノーマルコンピュータに割り込ませることで対応した。こうして計測した数値が520ps。それまでの日本車の概念を覆す実力だ。
HKSはデビュー翌年の2008年にはGT570パッケージを登場させている。ブーストアップのための内容で、専用のEVCや強化アクチュエータ、それにインテークまわりのパイピングなどをパッケージング。0.9kg/cm2のノーマルブーストを1.2kg/cm2まで引き上げて約570psがマークできるものだった。
パワーと乗りやすさの両立が令和時代の仕立て方
R35がデビューしてからちょうど一年後の2008年12月、苫小牧にあるワーカム北海道に5台のR35が集結した。どれもがノーマルタービンのブーストアップ仕様で吸・排気系やコンピュータのセッティングで最高速を競うといった内容だ。まだまだ発展途上の状態だったので、どこもメニューには大差ない。
そんな中、向井代表は570ccのノーマルインジェクターの容量不足を懸念した。そこで650ccの他車種用を加工して装着。問題は燃料の調整だ。やっとスピードリミッターのアドレスがわかったぐらいで、その先には進んでいなかった。単純にインジェクターを付け換えただけでは濃くなり過ぎてしまう。テスト前までになんとか燃料の減量用のアドレスを見つけて対応した。
当日は2台がインジェクターを換えていた。ノーマルインジェクターの3台はどれもが310km/h台。Kansaiサービスが持ち込んだR35はキャタライザーを生かした完全合法仕様で326.2km/hをマーク。扱いやすさと同時に車検対応に拘わった。もちろんエアコンやオーディオを生かして自走で帰れるように仕立てている。たった一瞬結果が出ても壊れてはストリートカーとして意味がないからだ。
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時代は平成から令和になり、向井代表は「もう最高速はやらない」と言う。危険過ぎるというのも理由の一つ。絶対的なスピードの追求よりも街乗りでの扱いやすさなど、日常的に価値のあるチューニングを確立する。まずは素材をじっくり研究し、パワーを追求。その後扱いやすさを重視する円熟期へ。これはKansaiサービスに限ったことではなく、GT-Rメイクの辿った30年間であり、平成を駆け抜けたチューニングの歴史なのである。