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【潜入調査】250台以上!! 「ランチア」「アバルト」「フィアット」のマニア垂涎マシンやコンセプトカーが集結! 夢のFCAヘリテージ ハブとは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

コンセプトカーも数多く展示

 ミラフィオリ工場の一角、約1万5000平方メートルの広大なスペースに250台を超えるクルマが展示されています。ホールは中央部分、全体の約半分のスペースを8つに区切り、テーマ別に7~8台ずつを展示。

 エントランスに近い右手は「RECORDS AND RACES(速度記録とレース)」、左手は「THE RALLY ERA(ラリーの時代)」と題されていて、モータースポーツで活躍した歴代のモデルが展示されています。そのふたつの展示エリアを背景に、アルファ ロメオとして初めて、カーボンファイバー製のモノコックを採用した、意欲的なF1マシンの179Fが鎮座していました。

 実戦投入前のテストでパトリック・デパイエがアクシデントで死亡し、実戦投入されないまま、悲運のマシンとして記憶されています。その後方、モータースポーツで活躍したクルマとしては、フィアット初のOHCエンジンを搭載したS61 Corsaと、ランチア初のモデルとなった12 HP“ALFA”Sport、ともに1908年に生産されたコンビを筆頭に、デビュー戦となった1954年のF1GP最終戦・スペインGPでアルベルト・アスカーリがいきなりポールを奪ったランチアのD50が並びます。

1953年ランチアD50

 チューニングしたパフォーマンスを確認するために速度記録に挑戦したアバルト750レコード、シルエットフォーミュラ(グループ5)レースで活躍したランチアのモンテカルロ・ターボ、スポーツ-プロトタイプ(グループC)で王者ポルシェに挑んだランチアのLC2と続きます。

 一方ラリー関連では1973年から始まった世界ラリー選手権(WRC)の前身で、1970年から1972年にかけて開催されていたFIA国際マニュファクチャラーズ選手権(IMC)で活躍し、最後のチャンピオンに輝いたランチア・フルヴィア・クーペ1600HFを筆頭に多数展示。

 1974年のフィアット124アバルト・ラリー、1976年のランチア・ストラトスHF、1978年のフィアット131アバルト・ラリー、1982年のランチア・ラリー037、1985年のランチア・デルタS4、1988年のランチア・デルタHFインテグラーレ(サファリ仕様)、そして1989年のランチア・デルタHFインテグラーレ、と、数多くのWRCチャンピオンマシンが勢揃い。

 改めてイタリア勢(ランチア&フィアット)の強さを感じさせられました。ちなみに、ランチア・デルタS4の後継でグループS制覇を目指して開発されたランチアECVの発展モデル、ECV IIも、このラリーカーが集う一角に展示されていました。

 もちろん、FCAヘリテージ・ハブに展示されているのはモータースポーツ関連の車両だけではありません。歴代のロードカーや、そこを目指して開発されていたコンセプトカーも、数多く展示されていました。

 ランチアの創設者であるとともにレーシングドライバーでもあり、また自動車技術者でもあったヴィンチェンツォ・ランチアが手掛けたラムダやアプリリア&アルデア姉妹もいれば、フィアットの天才技術者、ダンテ・ジアコーザが生みだしたフィアット500トポリーノもいました。コンセプトカーでは1972年のコンパクトEV、フィアットX1/23 も印象的でした。

 まだ電気自動車が(今よりもはるかに)夢のクルマであった当時、こんな小粋なモデルを作り出すなんて、まさに芸術の国、イタリアならではです。しかし、このFCAヘリテージ・ハブでもっとも驚いたのは2001年に発表されたザガートのスタディモデル、フィアット500のクーペ・ザガートでした。以前に、スバルR-2を振り返るコラムでも紹介していましたが、このクーペ・ザガートのスタイリングにはもうぞっこんでした。

 ほかにも、こんなスタディモデルやあんなプロトタイプ、と気になるクルマも数多くありました。これらはまた、別の機会に、より深く切り込んで紹介してみようと思っています。どうぞお楽しみに。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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