広大なスペースに250台を超えるクルマが展示
新型コロナウイルス感染症がひと段落していた6月上旬、ヴェルナスカ・シルバーフラッグの取材でイタリアに出かけた際、モデナとトリノ、そしてミラノで博物館を巡ってきました。2019年でサーキットでの取材に区切りをつけ、その分、海外の博物館に出かけようと考えていたのですが、折悪く新型コロナの感染拡大が酷くなってしまい、2020年と2021年は海外への渡航もままならず、3年ぶりの海外博物館巡りとなりました。
イタリアといえば世界的にも屈指となる長い歴史を誇る、トリノにあるイタリア国立自動車博物館が思い浮かびます。ですが今回は、イタリアでもっとも新しい自動車博物館、FCAヘリテージ・ハブを紹介することにしましょう。
フィアット・ランチア・アバルトの名車が勢揃い
かつて、フランスの大メーカーであるルノーを例に「フランスにはルノーがあるが、イタリアにはフィアットがある」とまで言われた一大コングロマットとして、イタリアの経済をけん引してきたフィアットは、クルマ関連でもゴッドファーザー的な存在として君臨。
イタリアのカーメーカーではドイツのアウディ傘下でVWグループに加入しているランボルギーニと、一度はフィアット傘下となりながらも2016年にグループから分離独立したフェラーリ以外は、すべてがフィアット傘下に身を置いています。
そしてグループから分離独立したフェラーリも、フィアット/FCAの大株主であるアニエッリ家が経営に影響力を持ち続けているため、FCA軍団の一員とみても間違いないでしょう。そんなフィアットは、全ブランドを1カ所に集めた企業博物館をオープンすることを目標にしていました。
ただし、ミラノ近郊のアレーゼに本社を構えるアルファ ロメオや、モデナに本社を構えるフェラーリは、それぞれ本社に隣接して企業博物館をオープンしていました。マセラティに関してもプライベート博物館ながら、内容的にはマセラティの企業博物館と呼べるほどの内容を持ったウンベルト・パニーニ博物館がモデナ市内に開設されていて、それらをすべてトリノに呼び寄せるのは難しい状況です。
そこでフィアットは自らが過去に生み出したモデルに加えて、彼らと同じくトリノで産声を上げたメーカーのランチアとアバルトが生み出したモデルも集めた企業博物館……というよりも記念収蔵庫を整備することになりました。
そして2019年の春に、フィアットのミラフィオリ工場の一角を整備してFCAヘリテージ・ハブが開設されたのです。博物館でもなければ記念収蔵庫でもなく、FCAヘリテージ・ハブと名付けられたのには理由があり、一般公開されていない(そのための準備は進められているとも聞こえています)のも理由のひとつですが何よりも、ヒストリックカーやクルマそのもののファンが集う拠点(ハブ)にしたい、との想いからでした。
コンセプトカーも数多く展示
ミラフィオリ工場の一角、約1万5000平方メートルの広大なスペースに250台を超えるクルマが展示されています。ホールは中央部分、全体の約半分のスペースを8つに区切り、テーマ別に7~8台ずつを展示。
エントランスに近い右手は「RECORDS AND RACES(速度記録とレース)」、左手は「THE RALLY ERA(ラリーの時代)」と題されていて、モータースポーツで活躍した歴代のモデルが展示されています。そのふたつの展示エリアを背景に、アルファ ロメオとして初めて、カーボンファイバー製のモノコックを採用した、意欲的なF1マシンの179Fが鎮座していました。
実戦投入前のテストでパトリック・デパイエがアクシデントで死亡し、実戦投入されないまま、悲運のマシンとして記憶されています。その後方、モータースポーツで活躍したクルマとしては、フィアット初のOHCエンジンを搭載したS61 Corsaと、ランチア初のモデルとなった12 HP“ALFA”Sport、ともに1908年に生産されたコンビを筆頭に、デビュー戦となった1954年のF1GP最終戦・スペインGPでアルベルト・アスカーリがいきなりポールを奪ったランチアのD50が並びます。
チューニングしたパフォーマンスを確認するために速度記録に挑戦したアバルト750レコード、シルエットフォーミュラ(グループ5)レースで活躍したランチアのモンテカルロ・ターボ、スポーツ-プロトタイプ(グループC)で王者ポルシェに挑んだランチアのLC2と続きます。
一方ラリー関連では1973年から始まった世界ラリー選手権(WRC)の前身で、1970年から1972年にかけて開催されていたFIA国際マニュファクチャラーズ選手権(IMC)で活躍し、最後のチャンピオンに輝いたランチア・フルヴィア・クーペ1600HFを筆頭に多数展示。
1974年のフィアット124アバルト・ラリー、1976年のランチア・ストラトスHF、1978年のフィアット131アバルト・ラリー、1982年のランチア・ラリー037、1985年のランチア・デルタS4、1988年のランチア・デルタHFインテグラーレ(サファリ仕様)、そして1989年のランチア・デルタHFインテグラーレ、と、数多くのWRCチャンピオンマシンが勢揃い。
改めてイタリア勢(ランチア&フィアット)の強さを感じさせられました。ちなみに、ランチア・デルタS4の後継でグループS制覇を目指して開発されたランチアECVの発展モデル、ECV IIも、このラリーカーが集う一角に展示されていました。
もちろん、FCAヘリテージ・ハブに展示されているのはモータースポーツ関連の車両だけではありません。歴代のロードカーや、そこを目指して開発されていたコンセプトカーも、数多く展示されていました。
ランチアの創設者であるとともにレーシングドライバーでもあり、また自動車技術者でもあったヴィンチェンツォ・ランチアが手掛けたラムダやアプリリア&アルデア姉妹もいれば、フィアットの天才技術者、ダンテ・ジアコーザが生みだしたフィアット500トポリーノもいました。コンセプトカーでは1972年のコンパクトEV、フィアットX1/23 も印象的でした。
まだ電気自動車が(今よりもはるかに)夢のクルマであった当時、こんな小粋なモデルを作り出すなんて、まさに芸術の国、イタリアならではです。しかし、このFCAヘリテージ・ハブでもっとも驚いたのは2001年に発表されたザガートのスタディモデル、フィアット500のクーペ・ザガートでした。以前に、スバルR-2を振り返るコラムでも紹介していましたが、このクーペ・ザガートのスタイリングにはもうぞっこんでした。
ほかにも、こんなスタディモデルやあんなプロトタイプ、と気になるクルマも数多くありました。これらはまた、別の機会に、より深く切り込んで紹介してみようと思っています。どうぞお楽しみに。