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トヨタ「2000GT」にそっくりなドイツ車があった! オペル「1900GT」というカルトカーの正体とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/stellantis

スポーツカーではなくスポーティなパーソナルカー

 プロトモデルの“グランツリスモ クーペ”から市販モデルの1900GT/1100GTへと発展していく過程で、まずベースモデルがレコルトからひとまわり小さなカデットにコンバートされていました。ボディサイズは全長4110mm×全高1580mm×全幅1225mmでホイールベースは2430mm。

 車両重量は940kgで、これはスタイルが似ているとも言われたトヨタ2000GTと比べると65mm短くて20mm細く、背丈は65mm高くてホイールベースが100mm長いということになります。車両重量は180kg軽いのですが、エンジンパワーが2000GTの150psに対してこちらは1900GTでも90ps、1100GTだと60psでしたから、パフォーマンスでは2000GTに一歩も二歩も後れを取ることになりますが……。オペル1900GT

 オペル自体がスポーツカーとは位置付けていないために、ここではあえて問題とはしないでおきましょう。エンジンはいずれも直4で1900GTは1897cc(ボア×ストローク=93.0mmφ×69.8mm)の直4シングルカムで最高出力90ps、1100GTは1078cc(ボア×ストローク=75.0mmφ×61.0mm)の直4プッシュロッドで最高出力60psとなっていました。

 直4エンジンがコンパクトなことに加えて、フロントノーズも長くなっているのでエンジンはフロント・ミッドシップにマウントされています。その直4エンジンは、それぞれラリー・カデット1.9S用とカデット1.1SR用を流用し、チューニングもほぼ同様で最高出力も同じとなっていました。ただし1100GTは、明らかにアンダーパワーで、それが原因になったかは分かりませんが、1年後に生産が終了。一方の1900GTは1973年まで継続して生産され、合計で10万台近くがラインオフしています。

 カデット用のフロアパンをベースにしたモノコックシャシーにはカデットと同じく、フロントに横置きリーフで吊ったダブルウィッシュボーン式独立懸架、リヤはトレーリングアームでコントロールするアクスルをコイルスプリングで吊るスタイルのリジッド式サスペンションが組み込まれています。

 このリヤサスペンションですが、カデットでは装着されていなかったパナールロッドが追加され、1クラス上級のオリンピアやレコルト、コモドーレと同じ基本デザインとなっています。ブレーキは前後ともにサーボ付きでフロントがディスクブレーキ、リヤがドラム式となっています。

リトラクタブルヘッドライトは手動だった

 オペルのデザイナーであるエアハルト・シェネルが手掛けたスタイリングは、ロングノーズにファストバックのキャビンというスポーツカーの教科書通りでしたが、プロトモデルの“グランツーリスモ クーペ”から市販モデルに進化する過程で大幅に手が加えられていました。

 とくにフロント/リヤのオーバーハングが大幅に切り詰められていてイメージも一新。ただしヘッドライトは両車ともにリトラクタブル式となっています。プロトモデルの開閉方式は一般的にフロントが持ち上がるポップアップ式でしたが、市販モデルのそれは、とてもユニークなスタイルです。

 クルマの前後方向に平行な縦軸を中心に、車両前方から見て時計回りに回転しランプユニットが現れるのです。しかもその動力が電動でもなければ圧縮空気を使う訳でもありません。シフトレバーの脇にあるレバーで、ドライバーが操作する人力パワーによる手動式なのです。

 また回転式で左右のユニットがシンクロして開閉する様は、動画サイトでそれを発見して初めて目にしたときには驚いてしまいました。ちなみに、2回目以降は見ると必ず笑みがこぼれてしまいます。最後になりましたが価格についての、ちょっとしたエピソードも紹介しておきましょう。

 日本国内には当時の輸入元だった東邦モーターズから少なくない台数が販売されていましたが、その価格は235万円となっていました。スタイルが似ているとの声もある、と最初の“掴み”で紹介し、比較でも例に引いたトヨタ2000GTの販売価格(238万円)とほぼ同じだったのです。まさに小説よりも奇なり、です。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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