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10年で計11台の「GT-R」を手に入れた! 日産エースドライバー松田次生の「Rライフ」に迫る

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TEXT: GT-R Magazine 野田航也  PHOTO: 大西 靖/小林 健/GTA

初めての新車GT-RはMY17のNISMO!

 ついに、R32/R33/R34と第2世代GT-Rすべてを所有することになった松田選手は、翌2015年もスーパーGTで2年連続チャンピオンを獲得。国内トップフォーミュラとスーパーGT GT500クラスの両カテゴリーにおいて、それぞれ2連覇を達成するという初の偉業を成し遂げた。

 2011年から2014年までの3年間、矢継ぎ早にRを手に入れたが、その後しばらくは新たにGT-Rを手にすることはなかった。次に動きがあったのが2017年。いよいよ第3世代のR35GT-Rに食指が動く。前年のビッグマイナーでR35がMY17へと進化。2017年8月にMY17のGT-R NISMOをオーダーした。松田選手にとって初めての新車のGT-Rである。

 第2世代R全車と現行のR35、しかもフラッグシップのNISMOというなんとも羨ましいラインアップを形成。だがこの年、もう一つ動きがあった。ある日、筆者の携帯に松田選手から連絡が来た。

 その内容は「初期型R35」に関するものだった。GT-R Magazineではスタッフカーとして2007年式の最初期モデルを所有していることもあり、トラブルについての質問を受けたのだ。聞けば「新車のNISMOでサーキット走行を楽しむのは気が引けるので、初期型を買って練習したい」というではないか。アドバイスが効いたかどうかは定かではないが、実際にニスモに続きMY08も増車。こうなったらもう止められない。翌年、初代GT-RのKPGC10が加わり、R35GT-R NISMO MY14「Nアタックパッケージ」も入手している。

「まさかハコスカが手に入れられるとは思っていなかったのですが、縁もあって個人売買で購入することができました。MY14のNアタックはもともとNISMOのデモカーで、そろそろ売却するという話を聞いて『だったら僕が買います!』と言ってしまいました(笑)。ちょうどMY17にNアタックのキットを組もうかどうか迷っていたところだったので、絶好の機会だと思い増車したんです」

全世代Rを手に入れエースの挑戦は今後も続く

 さすがに「コレが最後」と思ったそうだ。がしかし、2019年にR35 MY20が発表。カーボンセラミックブレーキやカーボンフェンダーなどで大きくアップデートされたMY20のNISMOを目の当たりにし、またしても手に入れたい気持ちが芽生えてしまったという。

「さすがに増車は無理なので、MY17を売却してMY20を購入することにしました。まさかNISMOがこれほど進化するとは思っていませんでしたし、メーカーが市販するクルマとしてはもはや究極レベルです。カーボンになって大型化されたブレーキキャリパーとホイールのクリアランスなんてミリ単位ですし、そういうところにも萌えてしまいました」

 MY20のNISMOが正式発売される前の2019年9月には、富士スピードウェイで開催された「R’s Meeting」で土屋圭市氏と共に同車でデモランも実施。初ドライブでMY17からの進化度も体感した。また12月には『筑波サーキット』で1分を切るというタイムアタック企画のドライバーに指名され「59秒361」を叩き出し市販車最速タイムを達成。筆者も現場でその瞬間に立ち会い、まるでスーパーGTの予選時のような鬼気迫る緊迫感と、タイムを出した後の松田選手の安堵の表情を目の当たりにしている。

 そして2020年3月。松田選手はもう一台のRをコレクションに追加することとなる。じつはMY20を購入後、ベイサイドブルーのR34を手放していたのだ。

「とても気に入っていたのですが、フルチューンで650psということもあり、普段乗るにはパワーがありすぎて持て余していました。そのうちノーマルに近いクルマを探そうと思っていたところ、ある方の紹介でミッドナイトパープルIIIのR34を手に入れることができたんです」

 GT-R Magazineでは初公開となるミッドバイトパープルIIIの松田号。前オーナーがとてもキレイに乗っており、すでにNISMOパーツで固められていたことも決め手になったという。2011年からスタートした松田選手のGT-R道。きっとこれから先にもその道は続いていくのだろう。

「2008年からGT-RでGT500を戦い、2回チャンピオンを獲得することもできました。レースで頑張って結果を出し、それを形として残したいと思っています。ある意味、契約金がGT-Rに姿を変えていますね。それもNISMOのドライバーとしてやってきた証です。それがあるからこそ頑張れますし、モチベーションにも繋がります」と言う松田選手。

 2021年1月18日に2021シーズンの日産チームのGT500の体制が発表となった。松田選手は2021年もロニー・クインタレッリ選手とコンビを組み、23号車の「MOTUL AUTECH GT-R」をドライブすることが決まった。

「ロニーと組んで23号車に乗るのは8年目。2020年シーズンは2勝しながらもチャンピオンには届きませんでした。2021年は3度目のタイトルを目指すのはもちろん、次に勝てばGTでの最多勝利数を『23』に更新することができるので、シーズンが始まったら早い段階で勝ちを狙いたいと思っています」と力強いコメントをもらった。23勝と3度目の戴冠を達成した暁には、その証として「松田コレクション」にまた新たなGT-Rが加わることになるはずだ。

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