バギー・ムーブメントは日本にまで飛び火
メイヤーズ・マンクスの名声と人気は、数多くのフォロワーを産んだ。その多くはマンクス同様、パーツの供給やチューニングが容易なVWビートルがベースで、そのユーモラスなデザインも類似していた。メイヤーズ・マンクスが火をつけたバギー・ムーブメントは、アメリカはもちろん日本にも飛び火。ダイハツの「フェローバギィ」や「バモスホンダ」、雑誌の企画で制作された「パンチバギー」などもそのブームの中で生まれたものだ。
またバギーではないが、ロータス・セブンの「突然変異種」として認識される「ロータス・セブン・シリーズ4」もまた、当時の流行があったからこそ生まれた「バギー的な乗り物」といえるだろう。デューン・バギーやサンド・バギーなどと呼ばれたこれら一連のレジャーカーたちは、一説によれば世界中で25万台が作られたという。
「原寸大のおもちゃ」とも言えるバギーは当時の玩具・模型業界でも大流行し、リアルなプラモデルからチープな玩具まで、さまざまなモデルが生み出された。また、現在でも時折ミニカーの新作(ソリドの1/18もそれ)がリリースされたり、当時のプラモデルが再販されたりしている。
半世紀以上も活躍した「デューン・バギーの父」
1960年代後半、熱病のように流行ったバギー・ムーブメント。それは当時、長引くベトナム戦争に対する厭戦気分や、既存の権力に抗う若者たちの心情ともシンクロした、クルマの世界での「フラワームーブメント」だったのかもしれない。
そんなメイヤーズ・マンクスを生み出したBF Meyers & Co.は1971年、ブームの沈静化とともにいったんは業務を終了するが、ブルース・メイヤーズは2000年にふたたび自らの会社を設立。かつてを知るファンと、そうでない人々に向けて、バギーの製造を始めた。
世界中にデューン・バギーを広めたブルース・メイヤーズはさる2021年2月、ゆかりの地・カリフォルニアで逝去。享年94歳。彼のDNAを受け継いだ「Meyers Manx, LLC」は今なお盛業である。