装備品はトヨタ2000GTに準じて豪華に
もちろん、パフォーマンスの高い9R型エンジンだけがトヨタ1600GTの魅力ではありませんでした。コロナ・シリーズでも評判の高かった2ドアHTボディですが、1600S用をベースに、ハイパワーに対処して強化が施されていました。
またサスペンションも、フロントがコイルで吊ったダブルウィッシュボーン式独立懸架で、リヤがリーフでアクスルを吊ったリジッド・アクスル式の基本レイアウトは変わっていませんでしたが、リヤにはハイパワーによってアクスルが暴れることないように一対のトルクロッドが追加されていました。
トランスミッションは4速と5速のマニュアルミッションをラインアップ。4速はコロナ1600Sのものが転用されていましたが、5速はトヨタ2000GTと同じものが装着されていて、最終減速比も3.900と4.111、4.375、4.625の4種類から選べるようになっていました。
ちなみに5速仕様はGT5、4速仕様はGT4のサブネームがつけられていて、テールにGT5、あるいはGT4のエンブレムが誇らしげに輝いていました。またフロントフェンダーのホイールアーチ後方上部にはエアアウトレットが設けられ、ホイールアーチの切り欠きもコロナ1600Sよりも大きなものとなっていました。
加えてフロントグリル中央やリヤのクォーターピラーの根元には、トヨタ2000GTに倣った七宝焼きで逆三角形のエンブレムが配されていて、2000GTの弟分であることを主張していました。
モータースポーツでも大活躍
トヨタ1600GTは、1967年の夏に発売が開始されていますが、それ以前にはトヨタRTXの名でレースに参戦していました。RTXのデビュー戦は1966年3月の富士スピードウェイ。富士スピードのオープンから間がなく、事実、初の4輪レースとなった第4回クラブマン富士(それまでは鈴鹿サーキットや船橋サーキットで開催されていました)がその舞台でした。
トヨタのワークスドライバーに託されたRTXは、まだ市販前ということで本来のツーリングカー・クラスではなくプロトタイプ・クラスでの参加となりましたが、細谷四方洋、福沢幸雄の順に見事1-2フィニッシュを決めています。
また発売直前となった1967年7月に、鈴鹿サーキットで行われた鈴鹿12時間レースにもプロトタイプ・クラスで参戦。福沢/鮒子田寛組が総合優勝に輝き、発売開始に向けて話題を盛り上げることになりました。また市販されてツーリングカーとしてのホモロゲーション(車両公認)が認められると、ワークスドライバーだけでなくプライベート・ドライバーの活躍も目立つようになってきました。
当時のライバルはプリンスのスカイライン2000GTでしたが、トヨタのワークスチューンが施された1600GTは排気量の差をものともせずこれを打ち破り、1968年にはトヨタのワークスドライバーだった高橋利明選手が全日本ドライバー選手権のTIIクラスで、見事年間チャンピオンに輝いています。
そんな1600GTがもっとも注目されたのは、ライバルとして日産がスカイラインGT-Rをデビューさせた1969年のJAFグランプリ、サポートイベントのツーリングカーレースでした。排気量では400ccの差がありながらも、シングルカムのスカイラインGTに対してテンロク・ツインカムの1600GTは、これを凌駕する韋駄天ぶりを見せていましたが、ライバルが直6ツインカムのS20エンジンを搭載するGT-Rとあって、不利は否めませんでした。
しかしワークス契約を交わしてはいなかったものの、トヨタの若きエースとして活躍していた高橋晴邦選手はプライベートでドライブするGT-Rを攻略。トップでチェッカーを受けることになりました。結果的にはストレートでのコース変更が走路妨害と判定されてペナルティが課せられ、総合3位になってしまいましたが、彼の活躍は、スタンドに詰めかけた多くのファンに強烈な印象を残すことになりました。
また、これはレースとは直接関係ないのですが、当時トヨタのワークスドライバーには、トヨタ1600GTのGT5が貸与されていました。すべてイメージカラーであったイエローのボディカラーでレースではパドックを華やかに彩っていたと伝えられています。
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最近でもメーカー契約のドライバーにはそのメーカーからクルマが貸与されるのが一般的となっていますが、今から半世紀以上も前にこうした演出に使われるなど、1600GTの格好良さには感服してしまいます。