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トヨタ「2000GT」に弟分があった! レースで「スカイライン」を打ち破った名車「1600GT」とは

各所にトヨタ2000GTの弟分であることを主張していた

 トヨタのバカっ速なテンロクといえばTE27やAE86などのカローラレビン/スプリンタートレノをイメージする人が多いと思います。じつはそのレビン/トレノに先駆けて誕生し、レースでも大活躍したモデルがありました。それがトヨタ2000GTの弟分として3カ月遅れの1967年8月に誕生したトヨタ1600GTです。早速振り返ってみましょう。

国産初のコロナ・ハードトップにテンロク・ツインカムを搭載

 トヨタの、対ダットサン・モデルとして1957年に誕生していたコロナは、1964年に登場した3代目のRT50系が、1965年の1月に、初めて月間販売台数でダットサン・ブルーバード(当時は2代目の410系)を上まわっていました。

 ですが、さらに1600SSSなどスポーティモデルが充実していたブルーバードに対抗してツインキャブ、前輪ディスクブレーキ、4速フロアシフトなどを採用してスポーティさを強調した1600Sを追加設定するなど、ラインアップを充実させて拡販。トヨタ躍進の大きな原動力になったモデルでした。

 その3代目コロナへ、1965年の7月に追加設定された2ドアハードトップ(HT)は、国産車として初めてとなるピラーレスハードトップを採用。センターピラーを排してドアもサッシュレス、リヤのサイドウインドウも開放式としたことで、すべてを開け放つと広々とした開放感が感じられると、ユーザーから好評でした。

 そのコロナ2ドアHTのボディに、トヨタ2000GTに続いてトヨタで2例目、直4では初となるツインカム・エンジンの9R型を搭載し、1967年の8月に誕生したモデルがトヨタ1600GTです。

 搭載する9R型エンジンが、コロナの基幹エンジンである4R型をベースにしていることもあって、1600GTはコロナの派生モデルとした一面もありました。ですが、トヨタでは3カ月前に登場したフラッグシップスポーツ、トヨタ2000GTの弟分と位置づけていて、その車名にはコロナの文字がなく、その一方で2000GTとの共通イメージが湧くようトヨタ1600GTのネーミングを与えました。

 トヨタ1600GTのキモとなったのは、やはり直4ツインカムの9R型エンジン。3代目コロナがデビュー当初に搭載していたエンジンは2R型(排気量1490cc、ボア×ストローク=78.0mmφ×78.0mm、最高出力70ps)で、ベースとなったR型(排気量1453cc、ボア×ストローク=77.0mmφ×78.0mm、最高出力48ps)とは排気量はそれほど変わっていないのに、4割以上ものパワーアップを果たしていました。

 その2R型を、1587cc(ボア×ストローク=80.5mmφ×78.0mm)にわずかにスープアップ、さらにツインキャブを装着し圧縮比も8.0→9.2まで高めるなどファインチューニングを施して最高出力も90psまで高めた4R型を搭載したモデルがコロナ1600Sです。

 その4R型エンジンを、さらにチューニングアップしたエンジンが9R型。これはトヨタ2000GTに搭載された3M型が、クラウン(当時は2代目のS40系)に搭載していたM型エンジンをベースに、1988cc(ボア×ストローク=75.0mmφ×75.0mm)の排気量はそのまま、SOHCのシリンダーヘッドを、ヤマハ発動機で開発したツインカム・ヘッドに交換し誕生したのと同じ手法でした。

 4R型(排気量1587cc)も、同じ手法を採用。同じ排気量でツインキャブ、そして圧縮比も9.2から9.0に少し引き下げられていながら最高出力は110psと、4R型に比べて20psもパワーアップしていたのですから、高性能の評価も納得です。

装備品はトヨタ2000GTに準じて豪華に

 もちろん、パフォーマンスの高い9R型エンジンだけがトヨタ1600GTの魅力ではありませんでした。コロナ・シリーズでも評判の高かった2ドアHTボディですが、1600S用をベースに、ハイパワーに対処して強化が施されていました。

 またサスペンションも、フロントがコイルで吊ったダブルウィッシュボーン式独立懸架で、リヤがリーフでアクスルを吊ったリジッド・アクスル式の基本レイアウトは変わっていませんでしたが、リヤにはハイパワーによってアクスルが暴れることないように一対のトルクロッドが追加されていました。

 トランスミッションは4速と5速のマニュアルミッションをラインアップ。4速はコロナ1600Sのものが転用されていましたが、5速はトヨタ2000GTと同じものが装着されていて、最終減速比も3.900と4.111、4.375、4.625の4種類から選べるようになっていました。

 ちなみに5速仕様はGT5、4速仕様はGT4のサブネームがつけられていて、テールにGT5、あるいはGT4のエンブレムが誇らしげに輝いていました。またフロントフェンダーのホイールアーチ後方上部にはエアアウトレットが設けられ、ホイールアーチの切り欠きもコロナ1600Sよりも大きなものとなっていました。

 加えてフロントグリル中央やリヤのクォーターピラーの根元には、トヨタ2000GTに倣った七宝焼きで逆三角形のエンブレムが配されていて、2000GTの弟分であることを主張していました。

モータースポーツでも大活躍

 トヨタ1600GTは、1967年の夏に発売が開始されていますが、それ以前にはトヨタRTXの名でレースに参戦していました。RTXのデビュー戦は1966年3月の富士スピードウェイ。富士スピードのオープンから間がなく、事実、初の4輪レースとなった第4回クラブマン富士(それまでは鈴鹿サーキットや船橋サーキットで開催されていました)がその舞台でした。

 トヨタのワークスドライバーに託されたRTXは、まだ市販前ということで本来のツーリングカー・クラスではなくプロトタイプ・クラスでの参加となりましたが、細谷四方洋、福沢幸雄の順に見事1-2フィニッシュを決めています。

 また発売直前となった1967年7月に、鈴鹿サーキットで行われた鈴鹿12時間レースにもプロトタイプ・クラスで参戦。福沢/鮒子田寛組が総合優勝に輝き、発売開始に向けて話題を盛り上げることになりました。また市販されてツーリングカーとしてのホモロゲーション(車両公認)が認められると、ワークスドライバーだけでなくプライベート・ドライバーの活躍も目立つようになってきました。

 当時のライバルはプリンスのスカイライン2000GTでしたが、トヨタのワークスチューンが施された1600GTは排気量の差をものともせずこれを打ち破り、1968年にはトヨタのワークスドライバーだった高橋利明選手が全日本ドライバー選手権のTIIクラスで、見事年間チャンピオンに輝いています。

 そんな1600GTがもっとも注目されたのは、ライバルとして日産がスカイラインGT-Rをデビューさせた1969年のJAFグランプリ、サポートイベントのツーリングカーレースでした。排気量では400ccの差がありながらも、シングルカムのスカイラインGTに対してテンロク・ツインカムの1600GTは、これを凌駕する韋駄天ぶりを見せていましたが、ライバルが直6ツインカムのS20エンジンを搭載するGT-Rとあって、不利は否めませんでした。

 しかしワークス契約を交わしてはいなかったものの、トヨタの若きエースとして活躍していた高橋晴邦選手はプライベートでドライブするGT-Rを攻略。トップでチェッカーを受けることになりました。結果的にはストレートでのコース変更が走路妨害と判定されてペナルティが課せられ、総合3位になってしまいましたが、彼の活躍は、スタンドに詰めかけた多くのファンに強烈な印象を残すことになりました。

 また、これはレースとは直接関係ないのですが、当時トヨタのワークスドライバーには、トヨタ1600GTのGT5が貸与されていました。すべてイメージカラーであったイエローのボディカラーでレースではパドックを華やかに彩っていたと伝えられています。

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 最近でもメーカー契約のドライバーにはそのメーカーからクルマが貸与されるのが一般的となっていますが、今から半世紀以上も前にこうした演出に使われるなど、1600GTの格好良さには感服してしまいます。

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