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【ロータリー神話を振り返る】ル・マン24時間でどうして「マツダ787B」が日本車初の総合優勝できたのか?

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TEXT: 御堀直嗣(Mihori Naotsugu)  PHOTO: マツダ/Auto Messe Web編集部

国産初のル・マン24時間制覇

 1991年のル・マン24時間レースで、マツダ787Bが総合優勝した。これは、日本の自動車メーカーによる初の勝利となる快挙であった。

 当時、トヨタや日産もル・マン24時間レース制覇を目指していた。しかし、それが果たせぬうちに、伏兵ともいえるマツダが日本車初優勝をもぎ取ったのである。競合として、メルセデス・ベンツやジャガーが名を連ね、ポルシェも有力なプライベートチームでの参戦があり、簡単な勝利ではなかった。

 それでも、永年ル・マン24時間レースに参戦し続けたマツダにとって、有利な状況も生まれていた。ル・マン24時間レースを含め、世界的なプロトタイプスポーツカー選手権の車両規定がこの時期変更され、それまでのガソリンターボエンジンから自然吸気のガソリンエンジンへ転換がはかられていた。また、ル・マンを除く世界選手権は距離の短いスプリントレース化され、同じレーシングカーで24時間を走り抜くのは厳しい状況になっていたのである。

1979年から毎年ル・マンに挑んだマツダ

 マツダは、1970年にル・マン24時間レースへの第一歩を刻んだ。そして1974年にふたたび参戦し、1979年以降は毎年挑戦するようになった。以来1992年まで、マツダは14年間ひたすらル・マン24時間レースを目指し続けた。

 この間、搭載されるロータリーエンジンは、進化していく。コスモスポーツやロータリークーペに搭載された10A型にはじまり、カペラ用に排気量を増やした12A型、そして上級車種のルーチェに搭載された13B型と、次第に排気量を拡大しながら性能を上げていった。いずれも、ふたつのローターを持つ仕様である。

 さらなる性能向上のため開発されたのが13G型だ。これは、ひとつローターを追加した3ローター仕様となる。1986年のル・マン24時間レースからマツダ757に搭載された。そして、1988年から4ローターの13J型が投入されたが、搭載した767は故障に苦しんだ。そして1990年からマツダ787に搭載されたのが、4ローターのR26B型である。マツダ787Bに搭載される4ローターエンジン

4ローターエンジンの開発に磨きをかけ見事優勝!

 じつは1989年に、ロータリーエンジンのル・マン24時間レース参戦が禁止されるとの動きがあった。だが、プロトタイプスポーツカーの車両規則全体が、ガソリンターボエンジンから自然吸気エンジンへ変更されるなどの動きがあり、その過程でロータリーエンジンの参加も延長されるようになる。マツダはこの機会を逃さず、4ローターエンジンの開発に磨きをかけたのである。

 レース戦略においても、ル・マン24時間レースで6度の優勝を飾った、ベルギー人のジャッキー・イクスをコンサルタントに迎え、優勝したマシンを操るのはF1の経験を持つジョニー・ハーバートやベルトラン・ガショー、そして日本で活躍したフォルカー・ヴァイドラーを起用し、万全を期しての体制だった。先行するメルセデス・ベンツに圧力をかける周回タイムで、攻めるレースを展開し、これが奏してメルセデス・ベンツに不具合を起させ、勝利を手にしたのである。

 マツダのロータリーエンジン開発に掛ける執念と、欧州の百戦錬磨のレース関係者との協力体制が、総力として日本車初のル・マン24時間制覇へ至らしめたのであった。

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