ハウス・オブ・グッチの逆鱗に触れたXJ-Sシューティングブレーク
高級クラシックカーが扱われる国際オークションでは、しばしば数奇なストーリーが背景にあるクルマが、まるで発掘されるごとく出品されることがある。今回はその一例として、2022年6月下旬、英国「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」の公式イベントとして、同国の老舗ボナムズ・オークション社が開催したオークションに出品された、「いわくつき」のジャガー「XJ-Sシューティングブレーク」をご紹介しよう。
リンクス・イヴェンターってナニモノ?
「リンクス・イヴェンター」はジャガー「XJ-S」をベースに、往年のレースカー「Dタイプ」のレプリカで有名なコーチビルダーの「リンクス(Lynx)」社によって製作されたシューティングブレーク。そのオーナーリストには英国チャールズ皇太子も名前を連ねていたといわれる。
1960年代にアストン・マーティンDB5「シューティングブレーク」が開拓した「上流階級向けの超高級・高速エステートワゴン」のマーケットを継ぐモデルとして、1983年に第1号車が製作されたイヴェンターは、その後2002年までの約20年間で総計67台が製作されることになった。その内約50台が英国内向けの右ハンドル仕様で残り17台が左ハンドル仕様。また3台の6気筒版を除いて、すべてV12エンジンが搭載された。
改装にあたってデザインを手がけたのはリンクス社所属のスタイリスト、クリス・キース・ルーカス。スタンダードXJ-Sクーペのフィン付ルーフは、エレガントなロングデッキとスタイリッシュなリア・サイドウインドウに置き換えられた。
そのスタイリングは既存の市販モデルの改造車とは思えないほどに素晴らしいもので、デビュー当時には「たとえピニンファリーナといえども、これほど巧くはモディファイできないだろう」とまで評されたという。
その美しさはもちろん、14週間かけて造る工作についても小規模コーチビルダーの少量生産車としては本格的なもので、ボディは専用の治具上にてハンドメイドされることになっていた。
また、長大なルーフはワンピースのプレス鋼板製とされたほか、リヤのバルクヘッドは後席を50:50の可倒式とすると同時に、レッグルームを確保するため9cmほど後方に移動されていた。この効用で本来2+2に過ぎなかったXJ-Sクーペに対し、イヴェンターはフル4シーターに限りなく近い居住性も獲得。
加えてジャガーのもうひとつの魅力、豪華なインテリアはもちろんイヴェンターでも健在で、玉杢(たまもく)のローズウッドトリムとコノリー社製レザーハイド、ウィルトンのウールカーペットが贅沢に奢られていた。つまりは、この時代における世界で最も豪華なワゴンのひとつだったのだ。
ジュネーヴショーで華々しくデビュー
このほどボナムズ「GOODWOOD」オークションに出品されたリンクス・イヴェンターは、ある新興ファッションブランドとのコラボ企画で製作されたもの。
グッチ創業者の孫にして、当時のグッチ帝国の総帥アルド・グッチの息子──レディ・ガガ主演の映画『ハウス・オブ・グッチ』では、ガガの扮するパトリツィア・レッジアーニに翻弄され、失意のうちに帝国から追放されたパオロ・グッチのオーダーによるものであった。
パオロは1978年代初頭にグッチの副社長に就任すると、それまでの上流階級から中流階級まで顧客層を伸ばそうとしたサブブランド「パオロ・グッチ」を独断で発足。ところがその新方針が、創業者である祖父グッチオ・グッチと父アルドの築いてきた「グッチ=ハイブランド」というイメージを破壊してしまう。
パオロは、依然として帝国内で絶大な影響力を有していた父アルドの逆鱗に触れ、グッチから追放された。ところが、自社株の50%を所有する従弟のマウリツィオ・グッチと秘密裏に手を組み、父アルドを社長の座から引きずり下ろすべくクーデターを起こす。その陰で糸を引いていたのが、マウリツィオの妻であるパトリツィア・レッジアーニだった……、というストーリーは、映画でも語られていた。
勢いを得たパオロは「パオロ・グッチ」ブランドを象徴するアイテムとして、お揃いのラゲッジを備えた限定車を作ることを決め、リンクスにその製造を依頼。20台のイヴェンターのグッチ化が計画され、その最初のカスタマイズカーが「リンクス ディゼーニョ ディ パオロ グッチ(Lynx Disegno di Paolo Gucci)」として、1990年のジュネーヴ・ショーにて発表される。
インテリアは、ブルーラッカー仕上げのエルム(楡)材に杉綾のクロスバンドをはめ込み、インストルメントのダイヤルを変更。シートは最高級のイタリア製手染めカーフスキンを使用し、アームレストはクロコダイル調。ヘッドラインはアルカンターラで仕上げられる。ステアリングホイールは手縫いのレザーで縁取られ、ラピスラズリの半貴石がATセレクターノブにも象嵌されていた。
パオロ・グッチ式スタイルに仕上げられたイヴェンターは、10万ポンドの値付けとともにジュネーヴ・ショーへ出展された。ところが、本家グッチ社が法的な問題を指摘したことから、ショーの2日目以降、ブースからはグッチを示すブランドロゴはすべて取り除かれ、リンクス名義に切り替えられてしまう。さらにグッチ社の顧問弁護士は、パオロにその名前を使用して製品を展開する権利はないと主張し、結局このモデルは1台限りのワンオフに終わってしまった。
そののち、失意のパオロはグッチ・イヴェンターを人知れず売却。当時の購入者のもとで約四半世紀を過ごしたが、2010年代半ばにボナムズのオークションに二度出品。この時の落札者が、かつてリンクス社で製作を手掛けたエンジニアを見つけ出して大規模なレストアを行ったとのことである。
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今回のグッドウッド・オークション出品にあたり、ボナムズ・オークション社は7万ポンド~10万ポンド(邦貨換算約1150万円~1640万円)という、ジャガーXJ-Sとしては高めながら、極上のリンクス・イヴェンターとしては常識的なエスティメート(推定落札価格)を設定していた。
これだけのストーリーを有する個体ならば、かなりリーズナブルなエスティメートだと思われたが、実際の競売では残念ながら「No Sale(流札)」に終わってしまったようだ。