BMWの戦後高級化路線で生まれたスポーツカー
1954年、アメリカでジャガーやメルセデス・ベンツ、ポルシェなどを販売していたオーストリア出身の自動車輸入業者、マックス・ホフマン氏が、BMWに新型スポーツカーの提案をしたと言われている。欧州市場とは異なる嗜好性を持つ北米市場は、ヨーロッパのメーカーにとって現地インポーターの意見が頼りだったのだ。その一例が、フェラーリ「250GT カリフォルニアスパイダー」であった。
すでに北米で人気のあった、高価なメルセデス・ベンツ300SLと安価なポルシェ356の販売に影響しないよう、その中間を埋めるモデルを、マックス・ホフマン氏はBMWに作ってもらいたいと思っていたようである。
既存コンポーネントを用いて開発された
BMWはそのアイデアを活かして、既存のコンポーネントを利用したオープンカーを開発し、1955年に発表する。それがこのBMW「507」である。ただし、開発費が相当かかってしまい、当初予定していた価格帯のクルマではなく、高級車として販売せざるを得なかったことが、507の販売的な失敗を招くことになる。
シャシーは501シリーズをショートホイールベース化したもので、フロントサスペンションはトーションバースプリングを持つダブルウイッシュボーン。リヤサスペンションは同じくトーションバースプリングを持つ、ライブアクスル式を採用。
エンジンは503GTのV型8気筒をベースに、高圧縮比化やハイリフトカムシャフトへの交換、点火時期の見直しなどをおこなうことで、150psへとパワーアップした3.2LのM507/1型を搭載している。
とはいってもこの507ロードスターは、純粋なスポーツカーではない。ターゲットとしたのはセレブ層である。ボディはアルミ素材をハンドメイドしたものでクオリティが高く、トルクフルなエンジンはZF製マニュアルトランスミッションを4速としたままでも、十分以上の加速を実現していた。
1957年、最初のモデルである507シリーズIを34台生産したのち、キャビンとトランクスペースの拡大がおこなわれたシリーズIIがデビューした。生産台数は252台といわれているが、エルビス・プレスリーが所有していたこともあって、この507の知名度は非常に高い。
ベテランのクルマ好きの間では、ジョン・サーティースがMVアグスタでチャンピオンを獲得したとき、アグスタ卿から507を贈られた、という話を知っている人もいるだろう。そんな特別なモデルが、BMW507なのである。